020/07/05 ロータリーの変化と進化
2020/07/26 奉仕の神髄
私は、ルーシー・M・モンゴメリーが書いた小説「赤毛のアン」(村岡花子邦訳)の中に、奉仕の神髄があるように思える。そのことを、今日の日記に書いておきたい。
この小説は、世界一美しい島といわれる、カナダの大西洋側にあるセントローレンス湾内にあるプリンス・エドワード島を舞台にした物語である。
アンは、男の子の養子をと望んだマシュー・カスバート とマリラ・カスバートの兄妹の家に、手違いから、やってきた。
マリラは、マシューに言った。
マリラ: 置いとけませんね。あの子がわたしらに、何の役にたつというんです?
そうなんだ。マシューもマリラも、マシューが60歳になり、心臓病の持病をもっているので、野良仕事の手伝いができる男の子が欲しかったからだ。そんな兄と妹の家に、予想外に女の子がやってきたので、マリラの言うのは、当然のことだったのだ。
しかし、このとき、
マシュウ:わしらのほうであの子になにか役にたつかもしれんよ。
日頃、自分の意思というものを口にしないマシューが、そう言ったのだから、マリラは驚いた。
駅から自宅グリーンゲイブルス(邦訳「緑の切妻屋根」)まで、アンを馬車で連れ帰ったマシューは、アンが、いかに愛に飢え、家庭を求めているか、いかにマシューの家の子になることを喜んでいるかを知ったので、今の言葉を吐いたのだ。
アンは、マリラの言葉で、自分が男の子を欲しがっている家庭に、手違いからやってきたことを知り、愕然となった。
しかし、マシューの言葉で、一縷の望みをもった。
アンは、もう孤児院には帰りたくなかった。あの寂しい、愛情のない世界には。
そこで、アンは、祈るような気持ちで、ではない、心で祈ったのだ。マリラもアンを養女にするという言葉を吐くことを。
そして、アンの祈りはかなえられたのだ。
マシューの言葉で、結局、アンは、グリーゲイブルスの子になった。
その後、マシューも、マリラも、アンに対する愛情が、日ごとに大きくなっていき、それまでに経験したことのない,明るい,笑いの多い日々を送ることになるのであった。
5年後、マシューは、突然、心臓発作で亡くなった。
その前日、アンとマシュウは、次のような会話を交わした。
すなわち、野良仕事を終えたところのマシューに,アンが語りかける。
アン:私が、男であったら、マシュー叔父さんを助けることができるのに・・・
マシュー:お前は女の子でよかったんだよ。12人の男の子より、いいんだからね。わしの自慢の娘じゃないか。
そして、アンと分かれた後、マシューは,つぶやく。
マシュー: あの子がわしらに入用だったことを神様はご存じだった。あの子は神様の思し召しだった。
奉仕という、人間の持つ気高い行為は、奉仕を受ける人たちに良い効果をあたえるが、それ以上に、奉仕をする側の者に、幸福、喜びなど、人生で最良な価値とされるものを、恵んでくれるような気がする。無論、奉仕をする者は、そのような対価が得られるなど、つゆほども考えないが。
赤毛のアンは、そのことを私たちに教えてくれる。
私は、ガバナーになってまだ一ヶ月経っていないのに、赤毛のアンのおかげで、奉仕の世界に、今、目を向け始めた感がある。