不動産 オフィスビルの場合は,通常損耗の原状回復義務があるのか?
Q
公図とは何ですか?また,歴史的には,いろいろ変遷があると聞きましたが,どのような変遷があったのですか?
A
1,公図の誕生(明治時代)
公図は,明治時代に,地租(土地にかかる税金)の課税を目的に作った土地台帳の附属地図として誕生しました。土地台帳附属地図は,地租条例(明示17年3月15日太政官布告第7号)に基づき,全国規模の地押調査(大蔵省主導)で,それまであった地図の更正図として,まとめられたものです。
土地台帳正本及び附属地図正本は,明示35年以降税務署に移管されましたが,市町村は国税徴収の保管事務としてこれらの副本を備えることになりました。
2,公示のための制度になる(昭和25年)
戦後の昭和22年,地租は国税から府県税に移され,昭和25年の税制改正で市町村税である固定資産税になりましたが,このとき,土地台帳は,税金とは切り離されて,法務局に移管されることになりました。
ここで,公図(土地台帳の附属地図)が,土地の状況を公示するための公簿になったのです。
市町村に備えられていた土地台帳副本,附属地図(更正図や改租図)の副本は,引き続き,市町村役場において使用されることになりました。
3,登記制度と土地台帳制度の一元化(昭和35年~45年)
昭和35年不動産登記法の一部改正により,10年間をかけて,登記制度と土地台帳制度を一元化する作業が行われ,その作業が終了した法務局から順に,土地台帳法の適用が廃止されていきました。そして,土地の物理的な位置,形状を公示するものとしては,「地図」(現行の不動産登記法では14条1項)を備え付けることになったのです。しかしながら,地図は全法務局に完備するまでには時間がかかることから,公図は「地図に準ずる図面」(同法14条4項)として扱われることになりました。
4,公図のマイラー化(昭和42年~60年代)
公図は,明治時代に和紙で作られたものでしたので,永年の使用による摩耗や劣化によって,判読不能になるものも出てき,昭和42年以降,和紙の公図をA2サイズの透明なフィルム(マイラー)に複写する作業が進められました。なお,マイラー化の前の公図は,マイラー化後の公図との違いを表す用語として,「旧公図」と呼ばれます。
ところで,マイラー化後の公図の中には,旧公図にはあった赤線や青線の色分けができていないもの,複写技術の拙劣さから生じた境界線の歪みなども出てきました。
5,コンピューター化
最近,公図がコンピューター化されつつあります。
今日現在,公図のマイラー化から,はやいところで40年以上が経過しているのですが,
マイラー素材の劣化や破損などもあり,コンピューター化が進められてきているところです。