僕と彼女の「老いるショック」〜加齢で減るもの・増えるもの〜山梨 漢方 老化 薬膳 さわたや薬房〜
「まずい、こんなまずい七味唐辛子は食べたことない」
生まれてから40年ほど経つが、他人と争った記憶などない僕が
何故かそのときは我慢できずに、偶然入った蕎麦屋でそう声に出してしまった。
つぶやき程度の声の大きさなので周りの人には聞こえないと思ったが
坊主頭に、明らかに昔なにかスポーツをやっていたであろう大柄な体型
(野球とかサッカーなどではなく、柔道とか、ラグビーとか、そういった類のスポーツだ。)
手入れされた眉毛と整った顎髭
明らかに蕎麦屋らしからぬオーラを漂わせている店主の耳にはしっかりぼくの声は届いており、僕の発言のあと明らからに顔色が変わっていた。
「うちの蕎麦に文句があるならお代いらねぇや!馬鹿野郎!出ていけ!」
・・・・古典落語や美味しんぼよく出てくるような
そんな展開になると思っていた。
強面の頑固な店主と、失言した客。
あとは平謝りして、それで終わるはずの話だった。
僕は覚悟決めて蕎麦をもうひとすすりして店主が厨房から出てくるのを待った。
ところが、店主は厨房から静かに出てくると、僕の前に立ち、思いもよらない言葉をかけてきた。
「お客さん、この七味唐辛子の味が、よくわかりましたね・・・・」
僕は箸を持ったまま固まった。怒鳴られると思っていたのに、店主の声は驚くほど静かだった。
「え・・・あの、本当にすみません、失礼いたしました。ちょっと変わった味の七味だったものですから・・・・」
「いや」と店主は首を振った。「謝らなくていいんですよ。それより、掛けてください。ちょっとお話しさせていただきたいことがあるんです。」
僕は戸惑いながらも、椅子に座り直した。店主は僕の向かいに腰を下ろすと、七味の缶を手に取り、まるで大切なものを扱うように、ゆっくりと蓋を開けた。
蕎麦と七味の、長い付き合い
「七味っていうのは」と店主は、まるで独り言のように話し始めた。「うちの親父の代から、いや、もっと前から、蕎麦屋には欠かせないもんだったんですよ。」
「そうなんですね・・・・」
「ご存知ですか?
七味唐辛子っていうのは、諸説ありますが、江戸の薬屋が考えたものらしいんですよ。日本橋の薬研堀ってところで、漢方薬をヒントに作られたもののようで。だから最初は、調味料というよりは、薬に近い扱いだったらしいんです。」
僕は少し驚いた。実は高校の同級生――250年続く山梨の漢方専門店の友人から以前それと似たような話を聞いたことがあったからだ。
「多くの江戸っ子は蕎麦をすする前によく七味を振ったそうです。
あれは味付けのためだけじゃなかったんです。
実は蕎麦は身体を冷やすもんだって言われていて。
カラダを冷やす蕎麦を、七味の温める力で中和する。江戸の人間は、そういう知恵を無意識にやっていたそうです。」
店主は缶の中の七味唐辛子を、ひとつまみ手のひらに落とした。
「唐辛子っていうのは、身体を温めて、胃を元気にする。
山椒は、痺れるような刺激で、お腹の冷えを散らす。この二つが七味の主役的な存在です。」
「そして・・・・陳皮は・・・気の巡りを整える、でしたっけ」
店主は少し驚いた顔をした。
「よくご存知ですね。
そうなんです、陳皮はみかんの皮を乾かしたものですが、陳皮には気の滞りをほぐす働きがあると薬膳や漢方では言われているそうです。
なのでイライラしたり、胸がつかえたりするときによく使われたそうです。
あとは胡麻や麻の実なども七味唐辛子には入っています。」
「では、胡麻や麻の実にはどんな働きがあるんですか?」
「胡麻は身体に潤いと栄養を与えてくれます。
歳を取ると、身体の水分や血が足りなくなってきますが、それを補ってくれるのが胡麻なんです。
麻の実は、腸を潤して、お通じを整える働きがあります。
あと青のりを入れるお店もありますが、あれは海藻が持っている働きの一つで、身体の余分な熱を冷ましてくれる働きがあるんです。」
「あと生姜もよく入っていますよね?」
「生姜は、七味の中でも唐辛子と同じぐらいわかりやすい働きを持っています。冷えを追い出して、胃腸を温めます。
寒気のするような風邪の引き始めに生姜湯を飲んだりしますよね。
あれと同じ理屈なんです。」
僕は思わず、感心してしまった。
「店主さん、随分七味唐辛子にお詳しいんですね。普通のお蕎麦屋さんだとそこまで七味唐辛子についてご存じの方って少ないと思います。」
店主は少し照れたように笑った。
「詳しいっていうか・・・覚えざるを得なかったんですよ。」
奥さんのための七味
そう言って、店主はようやく本題に入った。
「この七味唐辛子、うちの七味は、実は女房のために配合を変えているんです。」
「奥さんの・・・ためにですか?」
店主は頷いた。
「女房が去年から、ちょっと調子を崩しておりまして。
イライラしたり、胸のあたりが詰まったような感じがするって言うんです。
医者に行っても【歳のせい】とか【気のせい】とか言われてしまって全く改善しないので、友人に紹介された漢方の先生に相談したら、気の巡りが滞ってるんじゃないかって言われたんです。
それで漢方薬と一緒に勧められたのがさっき話した陳皮を多めにした七味。それをオリジナルで作るようになったんですよ。」
「それで陳皮を、多めに・・・」
「うちの七味は、辛さより香りを立てる配合に変えたんですよ。
女房のために、毎日食べている蕎麦にかけるために。」
この店の七味にはいろいろな思いが込められていたのだ。
ちょっと違和感を感じたのは僕の今の体調にあの七味唐辛子があっていなかっただけなのだ。
「ご主人、こちらの七味唐辛子は香りをメインにするかわりに、辛さや温める力はちょっと弱くなっているということなんでしょうか?」
店主は少し笑った。
「そうなんですよ。
でもほとんどのお客様は気づかない。
気づいたとしても、味が薄いな?くらいにしか思わないんです。
お客様のように、はっきり『まずい』って言った方は初めてですよ。」
「それは・・・申し訳ないことを」
っといいかけると蕎麦屋の店主はその巨体を揺らしながら弾けるような笑顏で笑った。
「いや〜」と店主は笑いながら首を振った。
「褒めてるんですよ。お客様は非常に舌が鋭い。
うちの女房の体質に合わせた配合と、お客様の体質が合わなかっただけの話なんです。それに気づける味覚をお持ちというは、僕が言うのもなんですが、本当に大したもんだとおもいます。」
僕は少し面食らった。怒鳴られて追い出されるはずが、いつの間にか褒められている。
僕のための七味
店主はふと立ち上がると、奥から小さな瓶をいくつか持ってきた。
「お客様は胃腸があまり強くなくて、身体は冷えやすい方でしょうか?」
「よく分かりますね・・・そうなんです。冷房も苦手ですし、夏でもお腹を壊しやすいんですよね・・・」
「だとおもいました。ちょっと待ってってくださいね。」
そう言うと店主は瓶から生姜と山椒を取り出し、目分量で調合を始めた。手つきに迷いがなかった。長年、女房のために七味と向き合ってきた人の手だった。
出来上がった七味を、湯気の立つ蕎麦の上にかけてくれた。一口すすると、さっきとはまるで違う。生姜の爽やかな辛さと、山椒の痺れるような香りが、身体の芯からじんわりと温めてくれる。額に汗がにじんできた。
「うまい・・・・めちゃくちゃうまい!」
思わず声が漏れた。
今度も本当に、心からの言葉だった。
店主は満足そうに頷いていた。
「七味というものは本当に不思議な力があるんです。
同じ材料でも、配合ひとつで、人を温めもすれば、巡りを整えたりもします。
女房のための七味は、女房にしか効かない。あんたのための七味は、あんたにしか効かない。本当はそういうものなのかもしれませんね。
インドなどでスパイスを体調で使い分けて調理する、なんて聞いたことがありますが、七味唐辛子も同じで、七味のような物を【薬味】と呼ぶ意味がよくわかりますよね。」
窓の外では、梅雨の湿った空気が街を包んでいた。
でも、身体の中はさっきよりずっと軽く、そして温かかった。
そう言えば今日は【7月3日】
七味の日、だった。
店主はもう一つ面白い話をしてくれた。
夏と七味唐辛子の関係
それは「夏こそ七味唐辛子」という話だった。
夏は冬に比べるとお腹を冷やしやすい時期で、そんな時に胃腸を温める七味唐辛子を使うことは実は理にかなっている、巡らせて、温める七味唐辛子を使うことで夏の食養生になる、ということだ。
そう言えば夏野菜のキュウリもカラダを冷やすが、よく唐辛子やラー油、キムチとしても食べられている。
あれにはそういう意味があったのだ。
そして蒸し暑い時に発汗を促す七味唐辛子を取ることで、タイなどで辛い料理が好まれるように、発汗でカラダの湿気を取り除くことができるので
そういう意味でも実は夏に七味唐辛子がオススメ、ということらしい。
僕は蕎麦屋の店主からもらった「マイ七味」ボトルを看板に入れ
梅雨の雨で濡れた街を歩き出した。
僕の七味を巡る冒険はこれから始まるらしい。
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