踊る小人と5月病〜山梨 漢方 さわたや薬房 薬膳〜
彼女がベッドから出てきたのは、午前十時を少し回ったころだった。
僕はすでに二時間前には起きていてKALDIで先週買った新しい豆を使ったコーヒーを一杯飲み終えて
ゆっくりと猫と一緒に自宅の2階にあるベランダ
(基本洗濯物干す場所なのベランダと呼ぶのにはいささか貧相ではあるが、ベランダはベランダだ)
で新聞を読んでいるところだった。
朝とコーヒーとベランダとネコ。
僕が日曜日でもっとも幸せを感じる時間だ。
「おはよう」と彼女は僕に向かって言った。
髪は少し乱れていて、僕のシャツを羽織っていた。
目はまだ半分閉じていて、世界と完全に融合するにはまだもう少し時間がかかりそうだった。
僕は読んでいた新聞を閉じ、ベランダからダイニングテーブルに彼女と一緒に移動した。ネコが僕のあとを甲斐甲斐しく付いてくる。
「コーヒー、飲む?」と僕が尋ねると
「うん」
と彼女は言って、椅子を引いて座った。
両手でテーブルに頬杖をついて、窓の外をぼんやり見ていた。
「ぼーっとしている 画像」
で検索すると間違いなく最上位に出てくるであろう、それはそれは、これ以上ない典型的な、見事なぼんやりぶりだった。
僕は彼女のために新しくコーヒーを淹れた。
豆を挽く音だけが静かに、小気味よくリビングに響いていた。
コーヒーカップを彼女の前に置くと、彼女は両手でそれを包むように持って、一口飲んだ。それから小さく息をついた。
「私ってさ」
と彼女は言った。
「よくよく考えると中学生ぐらいからずっと夜型、朝弱いのよね。どうしても朝型になれない。」
「うん、確かに君は早起きが本当に苦手だよね。」
本来であれば「そんなことないよ、ちゃんと朝起きてるじゃないか」っと励ますべきなのもかもしれないが、そんな励ましが安っぽく感じるぐらい彼女の朝寝坊はストロングスタイルなのだ。
「朝、本当に本当に苦手で。
何でこんなに朝が苦手なのかとちょっと調べてみたの。
そしたらどうやら朝弱いのも【体質】らしいのよね。
サーカディアンリズムっていうの? 体内時計が夜型にセットされてるんじゃないかっておもうのよ。」
僕はコーヒーを一口飲んで、カップをソーサーに戻した。
【体質】
世の中の多くの人が自分の不調の原因を
【体質】
というこの魔法の言葉で「だから仕方ないの、努力しても体質だから・・・」と慰めと諦めを自分に提供している。
ネコが僕の足元に擦り寄り「ニャッ」と鳴いた。
「それ、本当に体質、体内時計のせいだと思う?」と僕は言った。
彼女は少し眉を上げた。「違うの?」
「話してもいい?」
「どうせ止めても話すんでしょ」
「まあ」と僕は認めた。
「人間の体内時計は、年齢によって変わる。これは割と最近になって、睡眠医学の世界でちゃんと注目されてきた話だ。
乳幼児から小学生の頃は、生理的に朝型になっている。夜になると眠くなって、朝は早く目が覚める。それは脳や体が成長するために必要な、深くて長い睡眠を確保するための仕組みだ。
ところが思春期に入ると、体内時計が生物学的に夜型へシフトする。
眠気を感じにくくなって、睡眠ホルモンのメラトニンの分泌タイミング自体が遅くなる。
だから中学生や高校生が夜遅くまで平気で起きていられるのは、怠けているわけでも気合が足りないわけでもなくて、体がそういうふうにできているからなんだ。
夜型のピークは、女性が十九歳、男性が二十一歳ごろとされているんだ。」
「じゃあ私はやっぱり・・・・」と彼女は言いかけた。
「待って」と僕は言った。「続きがあるんだ。」
彼女はコーヒーを飲みながら、少し面白くなさそうな顔をした。
ネコも相手にしてもらえないので面白くなさそうにリビングの方に歩いて行ってしまった。
僕はそんな猫の姿を気にしながらも話し続ける。
「二十代後半になると、体内時計は少しずつ朝型に戻り始める。そして年齢を重ねるごとに、早寝早起きの傾向が強くなっていく。」
「つまり」
と僕は言った。
「君が中学生の頃に夜型になったのは生活習慣のせいではなく、体内時計の仕組みのせいで君が悪いわけじゃない。
でも三十二歳の夜型は・・・・
ちょっとまた別の話になってくる。」
僕はわざと深刻そうな顔をしてそう彼女に告げた。
彼女はカップを置いた。「三十二歳・・・って、私の年齢じゃない。」
「僕の記憶が間違っていなかったら、そうだね。」
「つまり何が言いたいの?」
彼女はちょっとニヤッと笑いながら僕に向かってそう聞いてきた。
僕は少し間を置いた。
ネコはリビングの窓のを眺めていた。
そこには雀が一羽、電線に止まっていたが、すぐに飛び立った。どこかへ用事があるらしかった。
そんな様子をネコはじっと見つめていた。
「今の君の朝寝坊を体内時計のせいにはできないってことさ。
これは残酷なことだけど間違いないことだ。」
と僕は言った。
「中学の頃の夜型は確かに体内時計の責任さ、君に落ち度はない。
でも今の夜型はおそらく君の・・・・」
と僕はいいかけるとそれを遮るようにまたニヤリとしながら彼女が
「たとえば・・・何?」
「夜中のスマホ」
彼女はニヤニヤと笑っている。
「寝る前のSNS。
ベッドに入ってからのYouTube。
エンドレスにつづくNetflixのドラマ。
ブルーライトはもちろん、夜の過度の光は睡眠の質を悪くして体内時計を後ろにずらすんだ。
これは君だけでなく、多くの現代人が抱えている問題だろうね。」
「中学生の頃の朝寝坊は、避けることができない体の仕組みのせい。。今の朝寝坊は・・・・」
「わかった、わかったわ。」と彼女は手を振りながら僕の言葉を遮った。
「体内時計のせいにしちゃいけない、私のせいね。」
「フフフ」と僕は笑った。
「笑わないでよ・・・フフフ」
彼女はちょっとむっとした顔と笑顔の中間ぐらいの顔でコーヒーを飲んだ。
ネコは用事を足しに行った雀をじっと待っているように窓を外を眺め続けていた。
「でもさ、私はいいのよ、確かにもう思春期ではもちろんないし、何ならあと数年でプレ更年期に入るような年齢よ。
朝型に本来ならなってくる年齢だから睡眠をしっかり取るように気をつけるわ。
でも思春期の子どもたちは本来は夜型で
朝無理に起きることがカラダの負荷になるのに学校の始業時間は昔と同じ8時半ぐらい。
今の日本の状況だと逆立ちしても始業時間が10時になるなんて考えられないわ。
少しでも思春期の子どもたちの体内時計を前倒しにする方法ってないのかしら?」
彼女は普段ぼくの前では教師らしいことは全く言わないのに
今日は珍しく教師としての顔を僕に覗かせた。(そう、彼女は中学校の教員なのだ。)
「対策ならあるよ、それもそれほど難しくない」と僕は言った。
「今は小学校高学年ぐらいから普通にスマホを持っているからね。
まずは大人もだけど寝る一時間半前にスマホを置く。
部屋の明かりを少し落とす。
朝、起きたらまず窓を開けて日の光を浴びる。
手のひらを窓の外に向けるだけでもいい。」
「それだけ?それだけで良いの?」
「ああ、それぐらい日光って大切なんだ。ネコを見てご覧。真夏の暑い時期以外はかなり日光にあたっている時間が長いだろ?
日向ぼっこをするって、本当にカラダにいいんだよ。」
そう伝えると彼女は窓際の席に場所を移した。
「あと、起き抜けに温かいものを飲むのもいいよね。基本的に中高生ぐらいだと夏でも冬でも冷たいものをガブガブ飲みがちだもんね。」
「じゃあ、こんな風に寝起きの温かいコーヒーならOKね?」と彼女はコーヒーカップを持ち上げた。
「コーヒーでもいいけど、できれば白湯か味噌汁の方がいい。
体の中から陽の気を高めてあげる感じで。特に中高生だと朝食を抜く子も多いから味噌汁がおすすめかな。」
「なんか専門家っぽいわね。」
「専門家だからね。」
彼女は少し笑った。
それから窓の外を見た。
梅雨の晴れ間の光が、テーブルの上の四角形をゆっくりと動かしていた。
「ねえ」と彼女はしばらくしてから言った。
「それ私も全部実践したら、朝型になれる?」
「なれると思う。ゆっくりと、でも確実に。体は、正しく扱えばちゃんと応えてくれるから」
彼女はしばらくコーヒーカップを両手で持ったまま、何かを考えていた。それから顔を上げて、僕を見た。
「でも」と彼女は言った。
「夜中のスマホやめたら、あなたとのLINEも減るじゃない。」
僕は少し考えた。
「それは」と僕は言った。「また別の問題だ。」
彼女は笑った。声に出して、気持ちよさそうに。
窓の外で、さっきの雀がまた同じ電線に戻ってきていた。
やっぱり用事は済んでいなかったようだった。
ネコがその様子を日向ぼっこをしながらじっと見つめていた。
◆解説◆今回は以外と多いお悩みの「朝起きられない」というお話でした。
大人はもちろんですが、中高生から人によっては20代前半ぐらいまではカラダの仕組みとして夜型になりやすいので朝が弱い、という方は今回ご紹介したご自愛を少しづつ取り入れてみてください。
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