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フラガール 常磐炭鉱の決断 昭和の話

2014年6月30日 公開 / 2014年7月31日更新

コラムカテゴリ:住宅・建物


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唐突ですが、先日映画「フラガール」を鑑賞しました。昭和40年代の人の意識、当時の社会情勢、また当時の自分らのこと等を重ね合わせて色々と考えさせられる感動ものでした。

石炭から石油に エネルギー革命最中の昭和40年本州最大の炭鉱・常磐炭鉱では廃坑が続き大幅な人員削減が迫られ、その救済のため、この北国に石炭とはエンもユカリもない「楽園のハワイ」をこの地に作り上げるという起死回生の一大プロジェクトが持ち上がった。当時は三井三池炭鉱騒動に象徴されるように労使が対立し先鋭化し荒れた社会であったと記憶している。そのなかで炭坑節や盆踊りしか知らない炭鉱の娘たちをフラダンサーに変身させるという涙と笑いと彼女らのひたむきな努力・熱意、そして反感・戸惑い等の入り交ざった家族や村人たちも最後は一丸となって協力するという半分ドキュメンタリー的なストーリーです。いわき市湯本にあるテーマパーク「常磐ハワイアンセンター」設立時の産みの苦しみを舞台とした作品です。

「人生には降りられない舞台があるー 町のため 家族のため 友のため そして自分の人生のために 少女たちはフラダンスに挑む」 (同映画の一節)

実は、この頃私の父は、国の公害基準強化により住宅化が進む都市部の製紙工場の移転を迫られていました。宿命である24時間操業の騒音や排水問題に日々苦労し頭を痛めていました。まだ工業団地というものが余り整備されていない頃のことです。

たまたま北茨城市(常磐)の不動産業者から市が工場誘致を積極的に図っているという情報を聞きつけ、ある炭鉱跡地を移転先として取得しました。製紙の必須要件である用水と排水に市の協力が得られるという触込みにでした。失業と職の少ない市の抱えた事情から歓迎されたわけです。

しかしその後の会社倒産によりこの土地も工場新設構想も宙に浮いたまま借金弁済のため後に私が全てを売却し終わらせました。

こんなことがあったお陰で、私は北茨城の人との関わりも多く、人情にも触れ、度々この地を訪れている内にあるご家族と知り合い、今でも親しいお付合いをさせてもらっています。貧しくても明るくたくましいこのご家族やこの地のことが気になる身近な存在として何時も頭の片隅にあり、その後も時々訪れています。



当時の私は若った上に自分の会社経営のことで精一杯、仕事に没頭していました。他人を思いやる余裕もありませんでした。炭鉱の方々の血のにじむ苦労や努力など他人事で、「すすけた灰色の炭鉱の地に何で、何が華やかなハワイアンなのか?」、理解も想像も及びませんでした。しかしこの映画を見て同地域に対する認識が一変しました。

この驚天動地、奇想天外のこの発想を誰が考えたのか?発想だけに止まらずどうやって成し遂げることができたのか、追い込まれたときの人間(経営者・社員・町の人・・・)の底力なのか、そして周辺の多くの方々の行動は! 興味は尽きません。

「発想の転換」と軽々に口にしますがそんな生易しいものではない。凄いことです。本当に頭が下がる想いです。

その後2011年3月11日の東北大震災に見舞われながらも、再起をはかる不屈の精神に、改めて敬服します。

記:大森孝成

この記事を書いたプロ

大森孝成

債務者を救う事業再生・任意売却アドバイザー

大森孝成(合資会社大誠企画)

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