6 言葉を磨く
徳川家康の嫡男・信康は、怒りに駆られて妻・徳姫の侍女を残虐な方法で殺したこと、
鷹狩りの不猟を理由に偶然出会った僧侶を殺害したことを家臣から諫言されるや自らの行為を信長が石山本願寺の信徒多数を殺したことに比べ軽いものだと言い放ったことなどが、後、信長から信康に切腹を命じさせる遠因になったという説があります。
また、織田信長自身も、明智光秀に対する激怒の感情から近侍・森蘭丸に命じて鉄扇で光秀の頭を打たせたことが、光秀に深い怨恨を抱かせ、後本能寺の変を招いたとの説があります。
これらの例は、いずれも怒気や激気をもって事に臨んだ行動が、身を滅ぼす原因になったと言い得ましょう。
このような例は、現在でも数多く見られます。
激怒が行き過ぎ、パワハラとされ、退職金も得られなくなるほどの懲戒解雇になった人も少なくありません。
これらは、まさに「九仞の功を一簣に虧く」愚行の一例と言えるでしょう。
「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」という徳川家康が残した処世訓は、現在でも生きております。



