ロータリー25 多様性と女性の活用
私は、ルーシー・M・モンゴメリが書いた小説『赤毛のアン』(村岡花子邦訳)の中に、奉仕の神(しん)髄(ずい)があるように思えます。
アンは、男の子を養子にと、望んだマシュー・カスバートとマリラ・カスバートの兄妹の家に、手違いから、やってきました。マリラは、アンを見るやすぐ、マシューに言いました。「置いとけませんね。あの子がわたしらに、何の役に立つというんです?」
そうなのです。マシューもマリラも、60歳になったマシューに心臓病の持病があるため野良仕事の手伝いができる男の子が欲しかったのです。しかし、このとき、マシュウは、「わしらの方であの子に何か役に立つかもしれんよ」と言い出したのです。日頃、自分の意志というものを口にしないマシューが、そう言ったものですから、マリラは驚きます。
マシューは、駅から自宅グリーンゲイブルス(邦訳「緑の切妻屋根」)まで、アンを馬車で連れ帰る間、アンが、いかに愛に飢(う)え、家庭を求めているか、いかにマシューの家の子になることを喜んでいるかを知り、今の言葉になったのです。
アンは、マリラの言葉で、自分が男の子を欲しがっている家庭に、手違いからやってきたことを知り愕(がく)然(ぜん)としましたが、マシューのこの言葉で、マシューの家の養子になることができました。その後、マシューも、マリラも、アンに対する愛情が、日ごとに大きくなっていき、それまでに経験したことのない、明るい、笑いの多い日々を送ることになっていったのです。
5年後、マシューは、突然、心臓発作で亡くなりますが、その前日、アンとマシュウは、次のような会話を交わしています。すなわち、野良仕事を終えたところのマシューに、アンが語りかけます。「私が、男であったら、マシュー叔父さんを助けることができるのに……」。するとマシューは、「お前は女の子でよかったんだよ。12人の男の子より、いいんだからね。わしの自慢の娘じゃないか」と。アンと別れた後、マシューは、つぶやくのです。「あの子がわしらに入(いり)用(よう)だったことを神様はご存じだった。あの子は神様の思し召しだった」と。
奉仕という人間の持つ気高い行為は、奉仕を受ける人たちに良い効果を与えますが、それ以上に奉仕をする側の者にも幸福、喜びなど、人生で最良の価値とされるものを、恵んでくれるような気がします。むろん、奉仕をする者は、そのような対価が得られるなど、露ほども考えませんが。