ロータリー22 多様性と学問(1) ――獣医学部問題で見えた、日本の学問の阻害要因――
呉(ご)下(か)の阿(あ)蒙(もう)とは、中国の三国時代を彩った呉の勇将呂(りょ)蒙(もう)の、学問を始める前のあだ名です。その意味するところは、“阿(あ)呆(ほう)な呂蒙”です(辞書には「昔のままで進歩のない人」と書かれています)。
すなわち、呂蒙は、武勇には優れていたが、学問はできなかったことから、このようなあだ名がついたのです。しかし、呂蒙は、いつまでも呉下の阿蒙ではありませんでした。主君の孫(そん)権(けん)に諭(さと)されて俄(が)然(ぜん)勉学に励み、その結果、呉の重臣魯(ろ)粛(しゅく)をして、“士(し) 三(みつ)日(か)会(あ)わずんば 刮(かつ)目(もく)して見るべし”と言わしめるほどの人物に成長したのです。
さて、私の場合ですが、来(こ)し方(かた)を振り返ってみますと、ロータリークラブに入る前と入った後は大違いという実感を持っています。入る前は、呉下の阿蒙でした。入った後は、年々成長をしているという実感を持ちます。他の人から、刮目して見られるほどには至りませんが。
ロータリーの世界は、それほど、私には、大きな成長の機会になったのです。
呉下の阿蒙。この経験は捨(す)てたものではないと思います。
私の大切にしている言葉の一つです。