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ロータリー5 日本ロータリーの父がした職業奉仕

菊池捷男

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テーマ:コラム50選

その中を富める貧しきへだてつつ流れる水の浅かれとこそ──この言葉は、日本ロータリーの父・米(よね)山(やま)梅(うめ)吉(きち)の残した詩です。梅吉は、1867年に幕臣の子として生まれ、20歳のときアメリカのサンフランシスコに行き苦学し、帰国後財閥の三井合名会社に就職。1920年日本初のロータリークラブ(以下「RC」)である東京RC創設者の一人になります。
梅吉はRCの会長には超一流の人物をあて、その求(きゅう)心(しん)力(りょく)でRCを質の高いクラブにするという哲学を持っていました。そのためロータリアンには優れた人材を集めています。ちなみに梅吉は1921年日本から民間外交使節団21人がアメリカに行く時の一員ですが、使節団結成の発起人は前コラムに書いた渋沢栄一です。
1922年、日本で初めて信託法が制定され翌1923年施行され、三井合名会社は1924年に日本初の信託会社(三井信託銀行。現在の三井住友信託銀行)を設立。梅吉が代表取締役社長に就任し、同時に信託協会会長にも就任。信託制度を財界の幅広い協力を得て公共性の高い事業としてスタートさせました。
この事業で、梅吉は、関東大震災で両親を失った子どもに残された財産を管理運営し、資産を倍額にして本人に渡すなどの実績を上げています。梅吉は、三井信託銀行の社(しゃ)是(ぜ)を「奉仕と開拓」とするなどロータリー精神を組織の隅々まで浸透させていきます。なお、日本で初めてのこの信託銀行の株主には、倉敷の大(おお)原(はら)孫(まご)三(さぶ)郎(ろう)も名を連ねています。
やがて、関東大震災(1923)、NY株式市場の大暴落(1929)とそれに続く昭和大恐慌、東北地方の冷害、昭和三陸地震(1933)などが続き、世(せ)情(じょう)まことに不(ふ)穏(おん)となりますが、米山梅吉は、このような中、国民の貧富の差の拡大を憂えて、1927年に「その中を富める貧しきへだてつつ流れる水の浅かれとこそ(意味:富める者と貧しき者の間を流れる溝が浅いものでありますように)」という歌を残したのです。
三井財閥は、1934年に慈善事業を目的とした「財団法人三井報恩会」を設立し、米山梅吉に運営の一切を託(たく)しました。梅吉は、以後10年間で、①ハンセン病療養施設3500床分の寄付、②癌(がん)治療のためのラジウムの寄付(当時「人類の幸福に寄与する快挙」と称えられる)、③結核療養所18施設への寄付などに、当時のお金で総額1753万5066円を支出しています。そのほかにも、梅吉は、個人としても、多くの寄附その他の奉仕をしています。
1946年梅吉は永眠します。享(きょう)年(ねん)79。その死後の1957年米山梅吉を顕(けん)彰(しょう)して、今の米山記念奨学会が設立されました。これは国際ロータリー(RI)から承認された日本独自の奨(しょう)学(がく)金(きん)制(せい)度(ど)となりました。

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