言葉12 箴言(しんげん)
2014年に封切られたハリウッド映画に「グレース・オブ・モナコ公妃の切り札」があります。
グレース公妃が、モナコ公妃の役に徹してスピーチをしたことで、国難から国を守り、国民を守り、家族を守り抜いた様子を描いた映画です。
グレース・ケリーは、ハリウッドのオスカー賞受賞の大女優として人気絶頂の1956年、モナコ大公レーニエ3世と結婚し、銀幕を去り、モナコ公妃としての生活を始めます。
しかし、グレースは、王室の生活に馴染めないものを感じていたとき、ヒッチコック監督より、銀幕復帰の話が持ち込まれます。
もう一度映画に出たいという思いを強く持ったグレースですが、しかしすれば、可愛い子らや夫との家庭生活は元に戻らなくなるかもしれないことを考えると踏ん切りがつきません。
折から、モナコに国難が生じます。フランス大統領シャルル・ド・ゴールが、アルジェリア紛争の戦費を調達する目的で、モナコに無理難題を突きつけ、軍隊を派遣してモナコとの国境を封鎖したのです。
このような国家の危機とグレース自身の危機に遭って、グレースに、彼女の進むべき道を示してくれたのは、この国にバチカン市国から派遣されて来ていた神父でした。
神父は、グレースに対し、レーニエ大公との結婚はおとぎ話だが、グレースはそのおとぎ話の中のグレース公妃の役に徹することを勧めたのです。それが自分を救い、家族を救い、国民を救い、国を救う道だと教えたのです。
そこで、グレースは、モナコ王室の儀式、典礼を一から学び、フランス語をより美しいものにしました。
また、国民に接するときや社交界の場での立ち居振る舞いなど、モナコ公妃としての役つくりに猛特訓を重ねるのです。
そのうえで、グレースは、モナコ公国の赤十字の代表者として、寄附集めを目的に、多くの国の首脳や王族を招待して、大舞踏会を開きます。
そしてスピーチをしたのです。
彼女のスピーチは、モナコは人助け、思いやり、愛に生きる。そのため赤十字の意義に生きる。もし、大国がそういう生き方を認めず、モナコに軍事侵攻をするというのなら、抵抗はしない。私の頭上に爆弾を落としてもらえばいい。私は甘んじてそれを受けます。というスピーチです。
それが終わると、全員総立ちでの拍手(スタンディングオペレーション)になり、ドゴール大統領も立って拍手。
そのドゴール大統領に向かって、米国から来ていたマクナマラ国防長官が、「まさかグレース大公妃の頭上に爆弾を落とすのじゃないでしょうね。」と釘を刺したのです。
グレース・ケリー改めグレース・モナコ大公妃が、没後40年近く経って、いまだ国民のみならず世界中の人々から慕われていることが分かるような気がします。
なお、フランスがモナコに対する全ての要求を撤回したこと言うまでもありません。