読書日記「百年の孤独」
昭和初期に天才剣士と謳われた森寅雄という剣士がいる。
彼は幕末、千葉道場で四天王と言われた森要蔵という剣士の曾孫にあたる。
あまたの流派が、その嫡流だけでは流派を維持できず、養子を取ったり、嫡男に剣の才能がなかったため衰えていることからすると、剣は必ずしも血筋だけで受け継がれるものではないが、森家は剣においては天才剣士を輩出する家系であったということが出来るであろう。
この森寅雄という剣士も面白い経歴をもっているが、ここでは時間の都合上書けない。
森要蔵は、戊辰戦争が勃発した時、会津若松藩に仕えていた。
会津若松藩は、松平容保が藩主であり、佐幕の藩である(新撰組はこの会津中将、京都守護職である松平容保のお預かりであった。)。そのため、戊辰戦争においては、最後まで官軍に抵抗して戦った。
白虎隊の悲劇は今もテレビドラマなどでおなじみのところであろう。
森要蔵は、会津若松の戦いで、門弟とともに守備についていた。その討ち死にの場所死諸説あり判然としない。
火力に勝る官軍は会津若松藩を圧倒する。
その中、板垣退助率いる一隊が、森要蔵の守備する戦線に攻撃をしかけてきた。
劣勢の森要蔵隊は、最後の突撃を敢行する。
森要蔵は、その息子である虎雄とともに突撃し、その鍛え上げた剣技でもって息子とともに一人、また一人と官軍を倒していった。
しかし、衆寡敵せず、銃弾でまず息子の虎雄が倒れ、その後、要蔵も銃弾に倒れ、折り重なるように息子の上に倒れて死んだ。
虎雄はこのときわずか16歳。
この戦いの模様を見ていて生き残った会津若松の藩士は、森要蔵親子の見事な最後を人に語る時、最後は涙で語れなかったという。
様々な人の死の上に明治維新は成り立ち、今の我々に繋がっている。