読書日記「百年の孤独」
法律相談に行くと、弁護士側からするとどうしようもないつらい相談が当たることがある(私を含め、私の周囲にはそうしたつらい相談があたる弁護士が割合多い)。
法律相談でぞんざいな口の聞き方や受け答えが不適当だとして、弁護士会に苦情が来る弁護士は結構多い。法律相談に行くとパーテーションで仕切られているだけの相談室もよくあり、そうした相談ではこちらが相談待ちの時間に隣の弁護士の回答が聞こえてくることがあるが、「よくあんな物の言い方するなあ」という弁護士がいることも事実である。
性格的にクセのある相談者が来たり、何度も相談に来たりしている相談者が来ると弁護士会の方も心得ていて、そうした問題発言をする弁護士は避けているような気がする。
もちろん私が相談がうまいと言っているのではなく、法律相談が一種のカウンセリング的機能を果たす必要があるということを理解していない弁護士もまだまだいるということである。
しかし、つらい相談が来ると、相談者だけでなく、本当に弁護士にとってもつらいものである。
弁護士としても、せっかく相談に来てくれたのであるから、帰られる時に気分良く帰って欲しいが、法的に不可能なものは不可能というしかないこともあるし、それが相談者にとって嬉しくない回答であることも分かっていても、プロとして法律家としての見解を言わざるを得ないのである。
相談者としては、自分の困り事を何とかして解決したいと考えているものだし、それを求めてやってくるので、弁護士からの回答に満足せず、時には回答した弁護士に対して怒り出すこともある。
相談者の方の立場になれば、自分の置かれている紛争(本人は紛争と思っていてもそうでないこともあるし、申し訳ないが病気であるとしか考えられない人もおられる)が全く解決出来ないといわれて怒りたい気持ちも分からないではないが、だからといって出来ないものを出来るとはいえないのである。
つらい相談には、相談者自身に問題がある場合もあれば、ご本人や遺族にとって、全く落ち度がないにもかかわらず、法的に救済出来ない事案というのもあり、そのようなときは相談を聞いていて本当にこちらも何か光をさしてあげられる答えを出してあげたいと思うのだが、法律家である私にはどうしようもないことがある。
法律は万能ではないのである。
長い長い相談が終わって、「何にもなりませんでしたわ」「弁護士は何にも役に立ちませんな」「泣き寝入りですか」などと捨て台詞を吐かれて帰られる時もある。
そういわれてもじっと耐えざるを得ない。
出来るだけ解決の方法を探すが、どうしようもない事案というのはあるのである。