織田信長2

中隆志

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 上洛の際、六角氏は織田・浅井・徳川連合軍に抵抗するが、その抵抗は虚しく、連合軍の前に六角氏はもろくも崩れ去ったのであった。このときより、六角定禎は信長に対して反逆を生涯の目的としてその一生をかけることになる(後に武田侵攻の際に焼き殺されるが)。

 上洛した信長軍は京の民に木曾義仲の再来かと恐れられたが、信長は、有名な「一銭斬り」の刑罰でもって軍を統括していたので、信長軍は略奪や強姦行為は働かなかったと伝えられている。この当時、戦勝側や侵略者が略奪や強姦をするということは常態であったので(武田信玄の配下もこれを愉しみにしていたようである。ジンギスカンは人生の至上の喜びは敵を屠り、敵の妻や娘をハーレムに放り込んでかわいがることであると言っていた。)、京の人々は信長を歓迎した。
 一銭斬りについては、信長の視野の中で、足軽が戯れに町娘が顔を隠していた布をめくって顔を見たというだけで、走り寄ってその足軽の首を一刀の下に切り離した話は有名である。
 このときの刀がなんであったかはわからないが、圧切と呼ばれた業物であったかもしれない。押しただけで人間の胴を切り離すことが出来たとされる業物である。

 足利義昭は第15代室町幕府の征夷大将軍に就任し、得意の絶頂であった。足利義昭は、このとき、信長のことを父と呼び、副将軍に就任するように要請したが、信長はこれを断り(幕府の役について、義昭の下風に立つことを嫌ったところ、信長が天下に対して野心があったことの何よりの顕れである)、草津や堺に代官を置くことを承認させた(いずれも商業都市であり、ここからあがる税金は相当のものである)。
 これが義昭と信長の長い暗闘の始まりであった。

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