読書日記「百年の孤独」
ひよこ釣りでよくひよこを釣っては持って帰ってきた。黄色とか少し色が黒いやつとかいろいろ居てかわいいのである。時々鶏以外の雛もいて、これはみんなに狙われるが、鶏のひよこよりも強靱で暴れて釣れないのである。コイ釣りにたまに入っている巨大なコイ(絶対に夜店の仕掛では釣れない)と同じで、子ども達の小遣いを使わせるための巨大雛である。あれは何の雛だったのか。
さて、たいていのひよこは、しばらくすると死んでしまう。生き残るひよこはほとんどいなかった。
しかし、あるとき3匹のひよこが生き残って3匹とも同時に鶏になった。大阪市内に朝5時から鳴り響く鶏の声。近所迷惑であったであろうが、当時は私は小学生だったので何とも思わなかった。
こいつらは3匹で力を合わせて鳥かごを持ち上げて脱走する名人で、1ヶ月に一度は道路を歩いている鶏が発見されるのであった。
しばらく飼っていたが、そのうち、近所から苦情が出たのか、祖父がどこかに連れていってしまった。「遠いところで暮らしているから」と祖父と母親は言っていたが、今となっては近所からの苦情に困ってどこかの鳥屋に持っていったのではないかと疑っている。たぶん母親に聞いても鶏を飼っていたことすらとぼけるであろう。
涙涙の私は、しばらくするとまたひよこ釣りでひよこを釣ってきた。1匹だけであり、過去の例だと1匹だけのひよこは育たないので、母親も育たないと思っていたのであろうが、私は執念でこのひよこを育てあげたのであった。
ひよちゃんと名付けて(何とありきたりなネーミングであろうか)、かわいがっていたが、このひよこもある時祖父がどこかに連れていってしまった。
そのときも遠いところに行ったと言われて泣いていたが、朝5時から大きい声で鳴かれては、近所からそりゃあ苦情も出たであろうと思う今日このごろである。