読書日記「百年の孤独」
先日帰宅するのに電車で座ると、向かい側のオジサンが酒を飲んでいた。サラリーマンのようで、コンビニで売っている200円くらいの麦焼酎をストレートで飲んでいた。
次の駅でそのオジサン(紛らわしいので、これを仮にオジサンAとする)の隣にまた別のオジサン(仮にこれをオジサンBとする)が座ると、オジサンAは隣に座ったオジサンBが気に入らないようで、舌打ちをしているのである。オジサンBは、イヤホンで何かを聞いている為、その舌打ちが耳に入らないようである。
そうすると、突然、オジサンAは、オジサンBに対し、「あっちへ座れ」と言って、空いている通路を挟んだ反対側の席に座るように命令したのであった。訳が分からないオジサンBは、そっちの席に移動しようとしたのであるが、次の駅に着いたばかりでそこでどどっと人が空いている席に座ったので、オジサンBは結局元の席に座ったのであった。
オジサンAは、オジサンBに対し、「やめとき」「やめとき」と手でイヤホンを触ったので、オジサンAはそのイヤホンが何か気に入らないのかと思って見るともなく見ていると、オジサンBがイヤホンを外した後も、オジサンAは「やめとき」と言っている。
何なんだろうかと本を読みながら(司馬遼太郎の「街道を行く」)、また見るともなく見ていると、オジサンAは、オジサンBの開いた足を手の甲でちょっちょっと触って、「大股開くのはやめとき。格好悪い」と言っている。
オジサンAは、オジサンBが(オジサンが時々やる)足を左右に大きく開いて座っているのが気にくわなかったのである。
オジサンAは、「そんな足を開くのは格好悪いからやめとき」と言って、そう言われたオジサンBも、「はあ」という感じで笑って後は何事もなかったのであった。
オジサンAは、おそらく普段はそんなことで指摘するような人ではないのであろうが、酒に酔っていた為気が大きくなっていたのであろう。
私は、そのオジサンAを見ながら、「きっとこの人は酒で気が大きくなって失敗したことがあるやろうなあ」と思っていた。
酒で気が大きくなって起こしてしまった犯罪というのは結構多い。私もアルコールの飲み過ぎで、記憶が飛んでしまったことは多々あるので、酒に酔って覚えていないというのは本当によく分かる弁解なのだが、警察や検察官はそれでは許してくれない。「犯行を否認して悪質」などとやられてしまう。
酒で気が大きくなったとか、普段しないことをしたとかというのは、やはり普段の生活で抑圧されたものがあるからであろう。酒を飲んであまりにも豹変するのは日常生活の裏返しであると私は考えている。酒で気が大きくなったり、荒れた結果、犯行を犯して、翌日は大虎が借りてきた猫のように大人しくなっているというような事件は多々ある。
どうでもいいことだが、私はそんなことも考えながら、「電車の中で焼酎のストレートを飲むのだって、格好悪いのと違うかな、オジサン」と心の中で思っていたのであった。