読書日記「百年の孤独」
国選刑事弁護事件で、検察官から、「実刑にして刑務所に送るべきだ」という論告をされることがある。確かに犯行は悪質であるが、私はいくつかの被告人にとってよい情状を述べて執行猶予にしてもらうように当然職務として述べることになる。
一般的には実刑となっても全然おかしくない事案であったし、検察官が「実刑にすべき」というと、裁判官もやはりその意見を尊重する傾向にあるので、執行猶予は難しいかな…と思っていた。元検察官の同期に聞いたら、「ほぼ100パーセントに近い割合で実刑にされるわ」といわれた。
しかし、判決は執行猶予であった。私があげた情状の中のどれかを裁判官が酌んでくれたのか、そうでないかはわからないが、検察官からも控訴もされず、被告人は無事社会内で更生する機会を与えられることになる。
実務では、実刑(刑務所に入らないといけない)と、執行猶予(だいたい3~5年間刑の執行を猶予されて、その間に他の犯罪ほ犯したりしなければ、刑の言い渡しの効果がなくなるというもの。有罪には違いないが、社会内にとどまれる)とが微妙な事案がある。
担当検察官が事件をどう見ているかによっても変わるであろうし、担当裁判官によっても変わるであろう。そのため、「あの裁判官は量刑はきついかどうか」などという情報収集も重要であったりする。
本来は一律同じでないといけないのだが、全く同じ内容の事件はないので量刑というのは難しいところもある。
昔、責任能力に問題がなければほぼ実刑という類型の犯罪(現住建造物放火)を弁護した時には、相弁護人となし得る限りの情状弁護をした結果、量刑相場とは異なり、執行猶予を貰えたこともあるので、このあたりはよくわからない。被告人にとって、実刑と猶予との間はぎりぎりであってももの凄い差がある処遇となる。
盆とか正月が近づくと、盆ないしは正月は自宅で迎えたいということを被告人から言われたが、法的に実刑しかない事件で、そのことを切々と説明したりしたことなども思い出すのである。