読書日記「百年の孤独」
極めて小さい社会で絶対的権力を持つ場合、よほど精神的に鍛えられた人間でなければ腐敗するのではないか。
少し前であったが、バレエの講師か何かが強制わいせつで告訴されていた。スポーツの指導者が好例であるが、その狭い社会の中で絶対的権力を持つ場合、その精神構造は歪んでくることが多いように思われる。費用を高額に支払っている場合は文句もいえるが、ボランティアだと文句がいいづらくなるというところもある。お金を支払うことには一定の意義もあるのである。事実強制わいせつ行為があったかどうかは当事者しかわからないが、拒否すれば演奏会に出られないとか、学校の教師の場合も成績が下げられたらどうしよう…などとして拒否できないという権力構造を巧みに利用しているのではないかという疑いは拭いきれない。
そのような狭い社会で権力を有している人間は、広い意味での世間では社会的には抹殺されている人間であったりして、そこで得られないものを小さい社会で転化して得ようとするようにも思われる。
弁護士も危険であり、1人で事務所をしていると、批判されることが少ない。依頼者の方もよほどのパワーがある人でないと弁護士には文句がいいづらいようである。
常に自省しなければならないと思いつつ、私も人であるから知らずしらず腐敗しているかもしれない。
いかんいかん。