読書日記「百年の孤独」
私は仕事を離れると深みのない男になる。仕事中はあれこれ考えるのだが、その反動か、仕事以外では全く深みがなくなる。一部では私の深みのなさは有名である。物凄い遠浅の海のように深みがない。
葉巻を吸い始めたのも雑誌で「葉巻と大人の男のアロマテラピーだ」「週末ヘミングウェイになる」という雑誌の特集を見て(実はヘミングウェイは葉巻を吸わなかったらしいが)、「これだ」と思って吸い始めたら美味しかったという超単純極まりない理由である。
ヘミングウェイが好んでいたパパダイキリをヘミングウェイ気分で調子に乗って飲んで、翌日この世のものとは思えない嫌な汗をかいて大阪高裁に行ったこともある。ラムは私の身体に合わないようである。
そのほかも、割合単純な理由で靴を選んだりしているが(雑誌で見てこれだと思って値段と相談して買っている。お気に入りはスペインのヤンコというメーカー)、いくら深みのない私でも雑誌そのままのスタイルはさすがに恥ずかしくて出来ない。
巷ではかちっと決まっているビジネスマンを見るが、おしゃれの基本はどこか一つ外すことらしいし、私もそう思っている。頭もかちっとスタイリングして、手入れをした(時折いるのは手入れした無精)髭をはやして、いつも靴も鞄も決めて、スーツもびしっと着ているというのは、実のところ周囲からすれば極めてうさんくさいようである。
私もあまりびしっと決めすぎるとうさんくさくなると考えていて、どこか外すようにしている。外しまくりとかいわないでね。
深みのない私は、最近まで引越するのに、自分の机の周りを自分が片付けなければいけないことに気づいていなかった。仕事が忙しくそんなことを考える暇がなかったのである。事務員たちはそういう深みのない私を見て笑うのである。きいいい。
私に深みがあると思ってこのブログを読んでいる人は要注意(そんな人はいないといわれるかもしれないが)である。
ただし、仕事面ではそれなりにいろいろと考えているのであるが(裁判官から見たら足りないところもあるかもしれないが、まあ他人のことはよく見えるものである)。