読書日記「百年の孤独」
海音寺潮五郎の「日本歴史を散歩する」というPHPかせ出ている本を読んだ時に、その中で感動した話がある。以下の記載は海音寺の同著からほぼ引用している。
那珂川の河口には港町があり、殷賑をきわめていたが、明治7年に海からの風により河口が土砂で埋まり、河口が南の方に移動してしまったことがあった。そのためにこの町はさびれ、人口も減っていってしまった。
長谷川なほという女性は、埋まった土砂を少しずつ鍬で掘っていき、海まで細い細い道筋をつけた。もちろん途中にはせっかく掘った溝が雨で埋まったり、「そんなことが出来る訳がない」と町中の人からあざ笑われ、家族のものからも「恥だからやめるように」と言われてもやめなかった。狐憑きとまでいわれたようである。
そのうち、周りであざ笑う人もいなくなり、なほが掘っていることも忘れていたある秋の豪雨の日、なほが「河口が開ける」と叫びながらやってきた。町の者が驚いて出ていくと、なほが掘った溝を中心に水が勢いよく流れている。町の者も皆鍬を持ち豪雨の中溝を掘り拡げた結果、流れは土砂を押し流し、元の河口が戻り、那珂湊は元の繁栄を取り戻したという。
海音寺もこの話しに感動したとしているが、当然私も感動した。なほにどのような見通しがあったのか分からない。しかし、「元の河口を取り戻す」というその信念で、周囲から何と言われようと自らが出来ることをやり続け、しかも結果を出したというその逸話には感動しないものはいないであろう。
我々弁護士も時に相手方や依頼者から誹謗中傷を受けることもあり、誤解されることもある。紛争のただ中に入りこむことからある程度やむを得ないところがある。
そのときに、なほのように自らの信念を貫くことが出来るよう日々精進したいものである。