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コラム

気管支ぜんそく

2011年6月3日

コラムカテゴリ:法律関連

最近は発作は出ないが、私はぜんそく持ちである。月に1度薬を貰いに行く。
 
 ぜんそくは子どもの病気のように思われているが、成人のぜんそくの人も多い。
 成人になってから発症する人もいる。

 私がいずれであるかは実のところよくわからない。
 子どもの頃から時々息苦しかった時があり、「それくらい生きてたらあるわ」という母親の一言で病院にも行ったことがなかったので、そういうものかと思っていた。大学生の頃は、調子のいい時は3キロ走って元陸上部にも負けなかったのだが、調子が悪いとすぐ息切れがしていたことがあったことからすると、ずっと以前からぜんそくであったのかもしれない。

 革命家チェ・ゲバラもぜんそく持ちだった。モーターサイクルダイアリーズという彼の若い頃を描いた作品の中では、ゲバラはしばしば喘息発作に悩まされている。
 今はぜんそく治療は吸入ステロイド(ステロイドを吸い込むことで気管の炎症部分の炎症を抑える)が治療の中心であり、私も朝と夜にステロイドを吸入する。ゲバラの頃は吸入ステロイドはなかったであろう。
 この吸入ステロイドのおかげで、ぜんそくによる死者はずいぶんと減ったとされている。
 ゲバラはぜんそくではなく、確かボリビアであったと思うが、政府軍に捉えられて射殺されるのであるが。チェゲバラ&カストロという映画ではそのあたりが割合忠実に描かれている。

 新撰組の元隊士である島田魁という隊士は、維新後本願寺の夜警をして生活していたが、この島田魁もぜんそく発作で死んでいる。島田魁という隊士は、自分と同じく新撰組で戦った同士の心根を思い、明治政府に仕えることを潔しとせず、榎本武揚から仕官の誘いが来ても断り続けたという。仕官すればそれなりの生活が出来たであろうが、それをせず、維新後の生涯を本願寺の夜警として赤貧の状態で過ごした。家族からすれば仕官して欲しかったかもしれないが、島田魁は絶対にそれをしなかったのである。私はこういう男が好きである。

 話が逸れたが、持病というものは嫌なものである。しかしぜんそくと判明した以上、これとつきあっていくしかないと思って月に1度は病院に通う。

この記事を書いたプロ

中隆志

被害者救済に取り組む法律のプロ

中隆志(中隆志法律事務所)

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