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河村修一

「ファイナンシャルプランナー」×「行政書士」

河村修一(かわむらしゅういち) / 行政書士

カワムラ行政書士事務所

コラム

「老老介護」「遠距離介護」の体験を振り返って

2020年10月4日 公開 / 2021年10月11日更新

コラムカテゴリ:くらし

おはようございます。行政書士 ファイナンシャルプランナーの河村修一です。
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今回は、私自身が体験した「老老介護」や「遠距離介護」について振り返ってみます。「介護」は、突然、襲ってきます。しかも、「電話一本」で。今から約20年前の春、一本の電話がかかってきました。母親が脳溢血で倒れと。この電話が介護の始まりでした。当時、母親は、まだ60歳。私は、パニックになりすぐに上司に伝え、仕事を切り上げ早退しました。今でも鮮明に覚えています。幸い、母親はすぐに救急病院に担ぎ込まれ一命をとりとめましたが、重度の障害が残りました。私は兄と2人兄弟でともに東京で勤務していたため、実家である山口県では、父親が母親を介護するという状況になりました。そのときは、まだ、父親も65歳と若く、精力的に母親の介護を行っていました。ただ、時とともに介護者である父親、介護状態である母親ともに体力等は年々落ちていきます。

要介護3から要介護2まで回復

母親は、デイサービスやリハビリ等に通い、徐々にではありますが、よくなっていくのがわかりました。言葉もスムーズではありませんが、話すこともできるようになり、要介護度3から要介護2へとよくなってきました。状態は私が見る限りでは、デイサービスなど行かないときは、基本的にベットに一日中いるという感じです。ベットの上に座っていたり、横になったりしていました。トイレは基本的には杖をついて一人でいくことができました。ただ、母親がトイレに行くときには、父親が必ず見守りをしていました。(※余談ですが、このときリハビリに効果がありそうなクリミラー(栗本教授が考案された)を試してみました)

老老介護で介護期間が長期化

母親が脳溢血で倒れてから、ずっと父親が母親を介護していました。年齢も父親は70歳を超えてからは、介護で疲れている父親と、自分の身体が思うようにならない母親とで、たまに口喧嘩をしていました。当然、母親は思うように話すことができないので最後は泣きながら私たち息子のところへ電話がかかってきました。このようにお互いが精神的、肉体的にも辛くなります。しかも、介護者(ここでは父親)も4人に1人はうつ病を発症するとも聞いたことがあります。今さらではありますが、これが「老老介護」の現実ではないかと私は思っています。私たち兄弟も当初は月に1度帰省していましたが、母親の状態が改善していくにつれ、遠距離で交通費もかかるので、数カ月に1度の帰省にとどまっていました。そのころ介護者支援のNPO法人を知り、私は、介護をされていた方々のお話を聞くための集まりに参加するようになりました。その集まりでは、現在、介護をしている方々の生の声やすでに介護が終わった方々の経験をきき、少しでも役に立つ情報がないかを模索していました。その時に介護の経験者から言われたことは、「あと何年か後には、父親の介護も視野にいれておいたほうがいいよ」とのアドバイスでした。

約10年後に再度、脳溢血で要介護5

2011年の2月、母親が電話があり、「最近頭が痛い」と言うので、無理やり父親に病院に連れていってもらいました。ただ、本人がお医者さんの前では、「どこも痛くない」と伝えたため、問診だけで終わって帰宅した翌日、脳溢血で倒れました。要介護5です。要介護5とは介護保険制度の中で最も重篤な状態です。完全に寝たきりで意思疎通もできません。このような状態のもとではすでに75歳である父親は在宅介護はできません。この時点で約10年近くの父親による在宅介護が幕を閉じました。その後、母親は介護老人保健施設への入所となり、父親は一人暮らしを余儀なくされることになりました。この頃から父親が少し物忘れがあり、私たちも父親のことが気になり始めました。

アルツハイマー型認知症

父親の物忘れが徐々に増えてるかもと感じ始めたころ、私は実家に帰省しました。就寝後、私が、ふと目が覚めると、父親が台所に立っていました。私は心配になり、「何しているの」と聞いたところ、「カップ麺を食べる」と言ってカップ麺を探してました。何も作っている様子がなかったのでそのまま寝るように言った明朝、父親に尋ねたところ何も覚えていませんでした。私は驚き、すぐに、お医者さんに相談に行きました。もしかしたら、介護が約10年と長期間だったことから「うつ病」かもしれないと。また、可能性としては、①うつ病、②認知症、③うつ病と認知症の併発のいずれかであると伝えられました。私は父親に検査を受けるようにすすめましたが、父親は「元気で大丈夫だから」と言って受診を拒み続けました。その後も、自宅のカギやお金、入れ歯等もなくしたりしていました。父親に検査を受けてもらう方法を、介護経験者等から話を聞いたりして、「健康診断」を名目で、ようやく検査(MRI)を受けることができました。結果は、「アルツハイマー型認知症」との診断でした。父親が76~77歳くらいの時だったと記憶しています。後になって、以前、NPO法人で介護の経験者の方からアドバイスしていただいたのを思い出した次第です。

ゆっくりとすすむアルツハイマー型認知症

徐々にではありますが、父親は認知症が進んでいるようで、話したことを覚えていない、金銭管理や役所への届出ができない等が増えていきました。私たち兄弟は実家にはすぐに戻れないことや毎週帰省するのは経済的に厳しい等を社会福祉協議会の方に相談しました。担当の方が、手隙の時に様子を見にいっていただいたことで、非常に助かりました(約1ヶ月弱)。結果、一人暮らしは難しいとの判断でケアハウスに入所しました。父親の状態は、はじめて会った人であれば認知症とは気づかないくらいですが、電話で毎日話したり、帰省して、2~3日一緒にいると「認知症では?」と思います。徐々にではありますが、認知症が進行していき、認知症と診断されて約4~5年後の80歳過ぎたあたりで要介護1になりました。自分で洗濯、掃除、買い物等はできましたが、徐々に回数が減っていき、結果、ヘルパーさんに部屋の掃除をお願いすることになりました。また、認知症の薬をもらうために病院へ行くときもヘルパーさんの同行が必要な状態になりました。お風呂好きだった父親が風呂にも入らなくなり服装も毎日同じものを着ている状況になりました。この当時は要介護2。母親の時は、「要介護3から2」へと改善して嬉しかったのですが、父親の場合は、逆で「要介護1から2へ」と悪くなりそろそろ介護老人保健施設かグループホームへの入所を考えないといけないと思い始めた頃です。その矢先、父親は脳梗塞を発症し、そのまま入院となりました。

まとめ

今でも覚えているのが、両親はやっと落ち着いて、老後をゆっくりと楽しもうという話をしていた矢先でした。電話一本で人生が大きく変わります。母親が60歳で突然倒れ介護。家族全員誰も全く思っていませんでした。しかも、約10年後に再度、脳溢血で倒れることも予想していませんでした。さらには、父親の認知症。認知症患者は多いとの認識がありながら、まさか、父親が認知症になるとは深く考えていませんでした。さらに脳梗塞を発症するとも。「老老介護」「遠距離介護」「認知症」は、これからの時代は、特別なことではなく、「十分に想定できること」と実感しています。介護に関する情報収集や経済的な準備など早めに対策をしておけば、選択肢が広がり余裕をもって対応することも可能になるのではないでしょうか。介護にならないように日常の生活習慣も見直すのも大切だと思っています。
(※画像は、厚生労働省認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)の概要の9頁より)
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