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『夏の貧血と不思議な老人』―前編―

早川弘太

早川弘太

テーマ:漢方的ご自愛短編小説

彼女が

「ふらふらする」

と言い出したのは、梅雨明けの翌日だった。

その日は朝から空気が重たく、この時期にしては珍しく蝉の鳴き声が耳に張りつくように響いていた。異常な暑さでセミも目を覚ましたのだろう。

僕たちは近所のファミレスでモーニングセットを前にしていたけれど、彼女はトーストにほとんど手をつけなかった。

「なんか、ずっと息切れしてる感じ。月経も遅れてるし、肌もカサカサしてきたし・・・昨日なんて夜中に氷ばっかり食べてたの、知ってる?」

「うん。冷凍庫にあったロックアイス全部なくなってたよね。」

「ねぇ、これってさ、ただの疲れとか、夏バテにしてはなんかおかしくない?」

たしかに少し、変だった。

普段は少食ながらも健康優良児だった彼女が、最近は朝起きるのもつらそうで、駅の階段でよく立ち止まるようになっていた。

爪専門のモデルだ、と言っても誰も疑わないぐらい自慢だった彼女の美しい爪はみるかげもなく欠けやすくなっているし

爪と同じぐらい彼女の自慢だった美しい髪もぱさついている。

僕の勘は、なにか彼女の身体の中で、見えない何かが足りなくなっている気がしていた。

そのとき、ふと僕は、数週間前にある友人から聞いた不思議な話を思い出した。

「ちょっとさ、不思議な漢方屋があるんだよ。店主は白髪まじりの老人で、まるでこっちの体の中をのぞきこんでるみたいなことを言うんだ。病院に行ってもなかなか治らない不調や、原因不明だった不調なんかも改善したり、その漢方屋さんに通っているとちょっとだけみんな元気になって返ってくるんだって。不思議な老人だから魔法使いか、何かかな?」

というような話だった。その時は話半分で聞き流していたがその話は僕の心になんとなく引っかかりを作っていた。

僕たちはその足で電車に乗り、街外れの坂道を上がった。蝉の声はさらに大きくなっていた。

看板も特にでていない、Googleマップにも出ていない、古びた平屋の店舗なのか家なのかも曖昧な建物の引き戸を開けると、

「カラン」

と鈴の音がした。

店内は、薬草の乾いた香りと時間が止まったような静けさに包まれていた。

木の棚には乾燥したキノコのようなものや

瓶詰めの葉っぱや木の根っこなどが整然と並んでいた。

その奥に、くたびれたシャツを着た小柄な老人が座っていた。まるで何十年もそこに座り続けていたような風情だった。

「まだまだ若いのに、ぜんぜん血が足りてないね。」

と、老人は言った。

僕は驚いた。「彼女のことですか?」

「いや、君もだよ。夏の急な暑さは、気づかぬうちに血を失わせる。気も失われる。人はそうなると、やる気も、夢も、立ち上がる力もなくす」

老人は、背後の棚から何かを取り出しながら、ゆっくりと語り始めた。

「汗というのは、ただの水じゃない。ナトリウム、カリウム、そして微量ながら鉄も流れていく。

若い女性は月のリズムで血を失うが、この季節は“もうひとつの月経”があるようなものなんだよ。

汗で血が薄まっていく。そこに食欲不振が加われば、体は血をつくる材料を得られず、どんどん干上がる」

「鉄分が、足りないってことですか?」

「それだけじゃない。

脾の力、つまり消化吸収の力が弱ると、元気も血液も作れなくなって巡りが悪くなってしまうんだよ。」

老人の語り口はまるで、古い絵巻物をめくるようだった。

「血が不足すると潤いが不足して口の中が乾いたり、熱感をもつようになるだよ。おじょうさん、夜中に氷が食べたくなったりしてないかい?」

彼女は小さくうなずいた。

「なんでわかるんですか? 昨日、本当にそうだったんです」

老人は笑った。仏像のような、どこか懐かしい笑顔だった。

「暑さは、時に静かに人を弱らせる。気づいたら立ちくらみ、気づいたら便秘、気づいたら“自分じゃないみたい”になっている。だが、安心しなさい。血を戻せば、君たちはまた元の場所に戻れる」

彼は僕たちに、さわやかな香りのする薬膳茶を出してくれた。

ほんのりと甘く、少しだけさわやかな香りがした。

老人、いや、先生というべきなのだろうか?が言うには急な暑さで大量に発汗したり、もともと体力がない人は暑さから貧血のような症状になりやすい、ということだった。

「お嬢さんのような体質にあっている漢方薬と気血を養うお薬をちょっと用意してあげるから、それを飲んで、今日は涼しいところで昼寝をしなさい。血が少ない時は人は昼でもしっかり休むべきなんだよ。」

「ありがとうございます。そのお薬、私の友達でも実は同じような症状で悩んでいる人がいるので同じものをもう一人分いただけますか?」

っと彼女が言うと老人の目つきが一瞬鋭くなり

「薬はその人のためのもの、安易に他人に渡してはダメなんだよ。お嬢さんにはあっている薬でも、そのお友達にあっているとは限らないからね。

漢方では”同病異治”という言葉があり、同じ病名、症状でも、原因によって治し方が異なるんだよ。それが西洋医学との大きな違いであり、漢方の特徴でもあるんだ。だから、同じ薬を間違っても、それが親切心からでも友達にあげるなんてやめなさい。」

その圧倒的な雰囲気に僕も彼女も完全に引き込まれていた。

「先生、わかりました。教えてくださりありがとうございます。ちょっとお聞きしたいのですが、私は胃腸が弱くて、食べたものから元気や血液が作れなくて、今の不調が起きている、っということですが、それ以外の原因ってどんなものがあるんでしょうか?」

そう彼女が尋ねると老人は静かに微笑みながら少しづつ言葉を紡ぎ始めた・・・

(後編へつづく)

【解説】今年のような急激な暑さにより、大量の発汗、エネルギーを消費して貧血のような症状、病院で検査しても「貧血」とならなくても血の不足しているサインがたくさん現れる

「血虚」と祝えるような不調が増えています。

また、次回お届けいたしますが、夏の貧血、血の不足が起こりやすい原因はそれだけではありません。

次回は体質別の夏の貧血対策についてお届けいたします。

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早川弘太
専門家

早川弘太(販売職)

株式会社 沢田屋薬局

医療機関などでは、忙しくてなかなか話を聞いてもらえなかったご経験ありませんか?まずお客様のお話をゆっくりとお聞きさせていただき、一緒に不調の原因を考えていきます。漢方相談と健康相談を行っています。

早川弘太プロは山梨日日新聞社が厳正なる審査をした登録専門家です

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