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プラチナの歴史

2012年10月23日 公開 / 2013年10月9日更新

テーマ:質屋

コラムカテゴリ:くらし

さて、第19回のコラムですが、「プラチナの歴史」についてお話したいと思います。比較的新しい素材の「白金=プラチナ」。いったいどんな歴史があるのでしょうか。
年表形式でプラチナの歴史を見てみましょう。


紀元前700年頃
エジプトのテーベにある女性神官シェペヌペットの墓から出土した小箱でプラチナを使った製品が見つかる。

紀元前100年頃
南米のインカ帝国時代の前には、すでに金属の高度な精錬技術があり、プラチナと金で鼻輪や耳輪、宝飾品を作っていた。



2000年ほど姿を消す



1590年頃
スペイン人による南米への侵略の際に、当時ヨーロッパで珍重されていた銀と勘違いされて略奪され持ち帰られた。しかし、銀よりも融点が高い白金は銀用の加工設備では溶かすことができず、大量に廃棄された。
このとき、融点が高く扱いにくいこの金属を「小粒の銀=プラチナ」と蔑称で呼んだことからプラチナという呼び名がつく。



100年ほど姿を消す



1700年代
18世紀になると、ヨーロッパで錬金術が発達。一躍プラチナが脚光を浴びる。鉛にプラチナを混ぜると金のように見えることから、錬金術師たちの格好の材料となる。

1751年
スウェーデンの科学者「テオピル・シェファー」によりプラチナは貴金属として学術的に認められる。1780年代には、フランス王のルイ16世が「プラチナは王にのみふさわしい貴金属である」と宣言したことから、プラチナはようやく、その価値にふさわしい地位を獲得する。

1788年
スペイン王カルロス3世は、ローマ法王ピオ6世への献上品として、プラチナ製の聖杯を贈る。高さ30cmのこの聖杯は、プラチナが18世紀後半に貴金属としての高い地位を獲得したことを物語る逸話となります。

1795年
度量衡(長さ、体積、量)の新しい基準としてメートル法が確立される。この時、フランス政府は、量の基準となるキログラム原器や、長さの基準となるメートル原器をプラチナで製作する。耐久性が高く、また、化学的にも安定しているプラチナは、これら原器に最適な貴金属と見なされる。

〜現代まで
プラチナは、最高級の金属として広く認知されています。


さて、いかがでしたでしょうか。
価値が分からず、プラチナを大量に廃棄するなんて信じられませんね。
プラチナは「白金」と書きますが、ホワイトゴールドとはまったく違う素材です。
ホワイトゴールドは、金にパラジウムなどの素材を混ぜて「白く」作ります。
しかし、プラチナは、元々、素材自体が「白い」のです。
「白金」と「白い金」の違いですね。


少しでも、皆様の暮らしのお役に立てれば幸いです。
それでは、また、次回コラムでお会いしましょう。

有限会社池田質舗
http://www.ikeda78.com/
http://twitter.com/ikeda78

この記事を書いたプロ

池田正一

質屋・鑑定のプロ

池田正一(有限会社池田質舗)

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