コラム
以前弊社で『胸像』を製作させていただきました。
2015年5月9日 公開 / 2015年10月16日更新
コラムををご覧いただきましてありがとうございます。
もう数年前になりますが、弊社で胸像を製作させていただきました。岡山市内にある大きな会社の社長様(JCで大変お世話になった今もお世話になっている方)よりご依頼があり受けさせて頂きました。
仏壇屋が胸像?と思われるかもしれませんが、実は仏具の鋳物(いもの)例えば、ローソク立、線香立、香呂などがありますが、これらは弊社はすべて富山県高岡市のメーカーから仕入れているのですが、その高岡で胸像が作られています。
胸像・・・よくご覧になられたことがあると思いますが胸から上を像にしたものです。すみません・・・字のままになってしまいました。
まずお客さんから8面からの写真をお預かります。正面、後面、両横など様々な角度のいただくことになるのですが、正面や横はかろうじてあるのですが、中々後面などは中々なく、お客様にもご苦労をおかけしてしまいましたが何とか揃えていただき、準備に入ります。
その後途中経過をご確認いただき、最後は現地へご同行頂き最終チェックを行います。現地でもかなり時間をかけて最終チェックを行い完成となります。
その当時先生の工房ではかなり大きな像が・・・確か、竹田信玄公だったと思いますが、馬に乗った武将がいたり、大きなものから小さなものまで様々な物が作られていました。静かな空気の中で黙々とお客様の支持の下作業を進めておられました。
胸像もですが、銅像も弊社で受けたまります。滅多にないでしょうが、何かの時に思い出していただければと思います。
生かさせていただいていることに、感謝です。
以下抜粋です。
歴史と伝統を持つ「高岡銅器」
歴史と伝統を持つ「高岡銅器」
高岡の町は江戸時代、慶長14年(1609)、加賀百万石二代藩主・前田利長(1562-1614)によって開かれました。利長は高岡に各地から商人や職人を呼び集め、城下の発展に尽くしました。没後も三代藩主利常が利長の遺志を継いで、高岡を商工の町へと転換し発展させました。
また後の高岡の主要産業となった銅器・漆器は、開町当初に利長が職人を高岡へ呼び集めたことがその発祥となり、のちに加賀藩の保護政策や町人たちの努力によって発展してきた歴史があります。現在でも主に、銅器、銅像、梵鐘などを製造しています。
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