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芳賀利幸

消防署長を務めた経歴を持つ火災予防・防災のプロ

芳賀利幸(はがとしゆき) / 火災予防・防災

防災企画コンサルタント

コラム

老人福祉・介護業界の歴史から見える防災上の問題点とは・・・

2023年3月23日

テーマ:防災上の問題点はないか・・・

コラムカテゴリ:くらし

1,少子高齢化の現実


現代日本において、少子高齢化という現象が起こり、これは、日本にとって大きな社会問題となり、様々な方面に影響が出ております。その一つとして、老人介護・福祉関係の業界に対しても、大きな期待が寄せられているとともに、様々な課題が起きていると感じております。
全国には、介護・福祉業務に携わっている職員は、200万人を超えており、年々、益々増加している現状です。
その背景は、単純に介護・福祉関連施設の利用者が増えているからと言えるでしょう。また、過去に多くの高齢者が施設を襲った火災や自然災害において、その犠牲になっていることは、皆さんもお聞きしていることと思います。
介護・福祉業界が日本国内において需要が急増したのはなぜか、また、その急増する過程で防災上の考えはどれほど反映(関心)されていたのでしょうか。
少子高齢化となった事態がその急増した理由の一つと考えるのであれば、少子高齢化となった背景を紐解くことで時代ごとに防災に関して見落とした糸口を見つけ出せないかという事に関心持った次第であります。

それでは、まず、少子高齢化となるまでの時代の背景を紐解いていきたいと思います。
まず、日本の時代を鎌倉時代までさかのぼってみましょう。

2,時代ごとの平均寿命とその時代背景


少子高齢化は、出生率と人間の寿命に関係があることから時代ごとの平均寿命を表しながらその時代の出来事又は、社会現象等を見比べながら考察したいと思います。
少々、この年代まで遡る必要があるかと思われるかもしれませんが、どうかお付き合い下さい。

(1)鎌倉時代

約820年前の日本は、武家社会で、封建社会であったという事です。
平均寿命は、24歳位であろうと言われており、食事は、一日に2回(朝と晩)だったようです。
当時の病気になった人々は、寺院の僧侶の手によって医療が施されておりました。

(2)室町時代

この時代の平均寿命は鎌倉時代と比べてさらに低くなっています。15歳位であったという事です。
天候不順による飢饉が続いた模様で、地震、風水害、冷害、虫害が頻発し飢餓者や疫病が続いた時であり、争いごとが続きました。
1420年の「応永の大飢饉」の際には、大凶作となり、幕府から生活援助が施されたほどであったようです。
京都では、300人~500人/1日の餓死者が出て伝染病が蔓延したという記録があります。
また、僧侶に関しては、収容施設となる小屋を建て、貧しい人に食事を与えていたようです。
医療の面では、中国へ医学を学ぶために留学をする者が現れました。

(3)江戸時代

江戸時代は、太平の世と言われました。南北朝時代、室町時代を経て戦国時代から引き継いだ江戸時代の世の中は、大きな戦いはなかった模様です。
太平の世では、国民(庶民)は、農業技術を向上させ、食料の生産性が上がったり、文化面での発達が顕著な時代だったと言われております。大幅に平均寿命が延びており32歳から44歳と伸びた時代としても納得できるものと思われます。一方、医療の面では漢方が中心であり、自宅療養している病人を往診し、薬を処方するのが一般的であったようです。(入院させて療養するという考えはなかった。)例外として、小石川療養所(将軍吉宗時代)では、収容し看護していたようです。しかし、幕末に戊辰戦争が起った事で、今までの漢方による処方では、対応できなくなり、外科的な処置が必要となってきて、各地に、西洋医学による処置ができる場所が設置されました。
これらは、廃藩置県の後、県立病院として現在に至っているところがあるようです。もちろんここでは、医学を学ばせることも行っておりました。

(4)明治時代

明治時代は、内乱がない社会となり、農業生産力の増大、産業革命に乗り出すなど工業化による経済発展に伴う所得水準が向上され生活が安定しました。また、保健、医療等の公衆衛生の水準も向上し、医学も進歩したようです。何より、国民が裕福となりつつあって、食べ物も充実してきたことが伺われます。また、第一次世界大戦では、日本は、好景気となり、産業が発達しました。平均寿命も急速に伸びて男性が50歳、女性が53歳位となりました。人口も飛躍的に増加(100万人以上/年の出生数)したのがこの明治維新後の明治時代の特徴だと言われます。この時代の頃から、国民の平均寿命が急速に延びていったようです。

(5)昭和時代

戦後の高度経済成長は、医療の充実、貧困からの脱出となり、長生きが始まりました。平均寿命は男性が71歳、女性が76歳となりました。
日本は、1942年(昭和17年)頃には、「結婚報国(結婚して国に報いる)」思想の啓蒙があり昭和22年から24年にかけては、「第一次ベビーブーム」と呼ばれるほど、出生率が大幅に増大しました。「団塊の世代」と呼ばれている世代です。
平均寿命が延びると人口が増えます。それに加えて、出生率も増えるのがこの昭和前期の出来事でした。
しかし、その後、平均寿命は延びる一方でも、第一次ベビーブームが過ぎてからの出生率は激減しました。その背景には、乳幼児の死亡率の低下等による少子化の現象が続きました。しかし再び昭和47年から49年頃になると第二次ベビーブームが起こるといった現象がありました。(団塊の世代が結婚適齢期を迎えたものと言われております。)
その頃、世界的には、このまま人口の増加や環境汚染などの傾向が続けば資源の枯渇や環境の悪化により、地球上の成長が限界に達すると警告する研究報告が出された事が、世界的に衝撃を与え、日本国内においては、厚生省や外務省の後援によって1974年(昭和49年)に「子供は2人まで」という宣言が出されました。国とメディアをあげての「少子化を推進する大キャンペーン」だったようです。また、学校でも教育の一環として、「人口爆発で資源が足りなくなる」と啓蒙されました。奇しくも、当時、小学生から中学生としてこの教育に触れて育った世代は、2020年の国勢調査において生涯未婚率最高記録を更新した45歳から54歳の人達でした。
「産め」と言ったり、「産むな」と言ったり、これに国民は、素直に応じたことで、そこからすさまじい勢いで少子化が進行していったわけです。
これまでは、日本の少子高齢化となった経過を説明しました。
整理しますと・・・
・「急速に増加した人口」の明治時代とその背景には・・・
   食料の生産性の向上と国民生活の向上。
   医療の進歩・工業生産の発展と経済成長。  がありました。
・「高度経済成長」となった昭和時代とその背景には・・・
   経済の発展による貧困からの脱出と更なる生活の向上。
   医療の更なる発展に伴う国民の寿命が延びました。
・「第一次ベビーブーム」と「第二次ベビーブーム」の昭和時代
   産めよ増やせよといった結婚報国(結婚して国に報いるという考え)
   第一次ベビーブーム(団塊の世代)の到来。
・その後の急激な出生数の減少となった「2人っ子政策」
   増やせと言ったり、減らせと言ったり。
   二人っ子政策以降は子供の数は減少の一途を辿り、現在に至っています。

これまでに記載した内容のとおり、寿命が延びたために高齢者が増え続けることに対して、出生数は減少し続けることで現代における少子化に至った背景がお判り頂けたでしょうか。

次から本題である、介護、福祉業界が我が国において必要となった経緯を説明するとともにその出発点となった時代、また、介護保険法が制定された時代に防災上の問題点はなかったのか、また、今後において介護福祉制度を発展させる過程で、防災上の問題点としてクリアすべきことがあるのかどうかを紐解いてみたいと思います。

3、介護、福祉業界が我が国において必需と認識された経過について


戦後、高齢者の面倒は家族や地域が見ており、寝たきり老人の介護などは家族にとっては大きな負担となっておりました。しかし、面倒を見ることが家族のつとめと認識されていた時代であったこともあり、施設に入所させることは、家族として親族の放棄として見られるのを嫌っている傾向が見え隠れしながらそういった時代が続きました。しかし、実際には、家族の負担は増大することとなっていたのでした。

更に、一方で日本は、高度経済成長となり、大都会へ集団で就職するようになり、その為、老人を介護する家族の負担は益々限られた者に集中することになりました。そんな中、家族は、高齢者を病院に入院させるという現象が増えました。その、入院させた背景には、高齢者の医療費の無料化の時代があったことも一因であった事と思われます。
家族は、福祉施設に入所できない高齢者をやむを得ず病院に入院させて暮らしていく状態を続けることとなりました。これは、必ずしも治療や退院を目指さない長期入院となるものが増え続けることとなり、「社会的入院」といわれるような状態を引き起こしました。

病院もそういった高齢者が増え続けたために、介護が必要な高齢者の行き場がなくなることになり、”にっちもさっちも”いかなくなってしまいました。

国は、このような現状を解決するために、介護が必要な高齢者のための「介護保険法」を制定しました。これは、2000年(平成12年)のことでした。

4,戦後の介護・福祉制度について


戦後、長らく日本の介護・福祉制度は、「社会福祉法」の下で定められた措置制度に基づいて運用されてきました。具体的には、財源は税金を用いて、行政が個別の利用者についてサービスと給付に関する判断と実行の責任を持ち、運用しておりましたので、サービスの利用やサービス事業者の選択については行政が決定権を持っておりました。そのため、一部の社会的弱者を救済するという発想に基づいて高齢者福祉のあり方があったという事でした。

当時、高齢者のほとんどは、家族や地域が面倒を見ることとし、それが難しい人に対してのみ、施設への入所を軸に行政が生活をサポートするという考え方がベースにありました。
行政がサービスの提供を事業者に委託する仕組みとなっており、事業者の資格は、社会福祉法人が中心となり、法律などで厳しく限定されていました。民間企業など他の法人による参入は極めて困難な状況にありました。
一方で、措置制度に基づく福祉サービスが受けられない人たちは、やむを得ず老人病院に「社会的入院」をして暮らしている状態が続いていました。

5,措置時代から存在する施設の防災上の問題点について


行政から、サービスの提供を委託されていた事業所が、介護保険法が施行された現在においても同法の各種基準等をクリアさせながら事業をしている事業所に対して、その施設のハード面、ソフト面は防災上において、まったく問題点がないものとは言い難いところがあると思われます。

当時、その建物の構造並びにその位置が最良と判断されていたものが、それらに関連する法律等の改正によって増築、改築が施され、設置されている設備に関しても、大きな変化や追加設置が行なわれてきました。
現法では、看護師、介護職員の配置基準及び人員の基準が明記されております。また、利用者を受入れるためのハード面の基準も存在し、それらを優先するあまり、法律等で決められた配置基準で採用した職員が施設内にあふれんばかりの人数となり、廊下で事務処理をしたり、玄関ホールの空間において、又は、倉庫のようなところで事務処理をしている状態が見受けられます。客観的にみて、勤務する環境は、決して良いとは言えない状況であり、声を大にして、改良を主張する職員も少ない状態であるのが現状であろうと考えられます。
さて、防災上の問題点は、そのような状況下の中で無いのでしょうか。

6,介護保険法が成立後に開所した施設の防災上の問題点について



ここにきて急増しているのが、グループホームと呼ばれる形態です。
グループホームは、特別養護老人ホームのような大規模な施設を必要とせず、町の中の民家や空施設の改造等でオープンできる手軽さがあります。そのため、民間事業者、地域の福祉関係者のネットワークから生まれたNPO,病院や特別養護老人ホームを持つ医療法人や社会福祉法人による設立が相次ぎました。
町の民家の改造、空施設の改造で安価にオープンできたために火災に関しての設備が疎かになっていたことに気付かず、その為に悲惨な事態に繋がってしまった事案がありました。
また、そういった施設に限らず、今に至っては、ハザードマップ上で浸水の警戒区域内又は、土砂災害警戒区域に指定された地域内に既存するものも多くあります。実際に浸水被害に遭遇した施設も少なくありません。
最近、ハザードマップの警戒区域内には新たな施設の建設が敬遠されるような基準が出来たようなので、安心できる要素と感じております。
老人介護に従事する職員は、やりがいがあり充実した職場であるが重労働であるため、長期就労とはならず、施設に勤務する年数が短いために、十分な防災上の訓練の修得とならない場合があり、防災に対するスキルアップが望めない要素が存在しています。

建築物の老朽化があるにも拘わらず、何とか工夫して勤務しようとする職員の意識があり、防災面の意識を後退させている場面が見受けられます。
女性が圧倒的に多い職場であるので、こういった点についても支援策が講じられるところがあるのではないでしょうか。
また、外国人スタッフの採用による防災上の問題として、気候風土の違いから国内の暖房器具等の安全な取扱い方法が理解できず火災危険が増すといった事も考えられます。
老朽化している建築物又は、そういった建築物の移転に対する補助金の支給に関しても国に対して検討をしていただきたいと思っております。

7,まとめ



災害は、遠い昔より発生していた我が国ですが、先人たちは、これらの災害の悲惨さと実態を受け止めた上で、それぞれの時代において将来の在り様を考えながらどのような方策を取ったらいいかという判断を繰り返してきました。その結果が、現在の日本であり、生活様式、文化をはぐくんできたものと思います。東日本大震災の被災地で整然と給水車に並ぶ日本人を見て外国人はびっくりしていたそうです。自国では、人々は略奪をしたりパニックになり混乱するであろうというのです。
余談となりますが、日本人は、災害に対する救援方法や対処方法は、自然災害や大火が頻繁に起きた江戸時代の頃から脈々と人々の身に宿りついたものと言われております。
当時、映像によって知れ渡る時代でも無いにも関わらずそういった方策が全国各地に広まっていったのは、参勤交代によるところが多く、江戸(東京)で体験した事を自国に帰参した際にその救護体制、救援方法が役に立ち各地に広まったものと言われております。当時、財政的に統率しようとした制度でしたが、一方で日本人の気質が全国に広まり、統一した考えが広まったものと考えられます。
日本では、2025年までには、約800万人の団塊の世代が75歳(後期高齢者)になると言われております。
介護老人福祉施設の平均在所日数が約1400日(3年8か月)また、介護老人医療施設の平均在所日数が約480日と言われる中で、高齢者に対する尊厳というものを見つめ直しながら、そこに暮らす高齢者と一日の大部分を施設で過ごす高齢者に対して、その介護老人福祉業界に携わる約200万人を超す職員に対して、より一層の向上と見直しの手を差し伸べることが必要であると思われます。

この記事を書いたプロ

芳賀利幸

消防署長を務めた経歴を持つ火災予防・防災のプロ

芳賀利幸(防災企画コンサルタント)

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