小論文を書くにも人間性が見られます

井上博文

井上博文

テーマ:小論文対策

ここのところ数回にわけて、小論文に関するコラムを書いてきました。小論文は論理的に書くものです。ですから根拠も必要ですし、客観的に書く必要があります。こういった面から論理的と言われると冷たく感じられたり、ドライな感じを受け取られることも多くあります。しかし、本来の意味で冷たかったり、人を傷つけるのはむしろ非論理的な言葉である場合が多いのです。よく論文には感情を入れてはならない、と言われますが、必ずしもそうではなく、感情に対する捉え方の問題で、うまく使うと感情は有効な材料になります。例えば、今のアメリカ大統領選挙では、トランプ側とバイデン側に真っ二つに割れています。その現象を、私たちのような遠い日本から、「不愉快に思う」「当然トランプ氏、あるいはバイデン氏に共感できる。なぜなら好き(嫌い)だから」。当たり前ですが、こんな書き方をすると、間違った感情の使い方になります。一方で、「なぜこんなに二つに分断していて、お互いが憎悪とも見える感情をぶつけあっているのか?」という問いかけのもと、こういった憎悪感情に着目して、何かを論じるのは、妥当な範囲です。冷静に考えて「意見が合わないと、相手を憎む」というのは、世界中、歴史の縦横の軸で見ても珍しいことではありませんし、歴史がこれを推奨したことはないはずなのですが、なぜか人はこれを繰り返します。宗教も哲学も看護学も医学も多くの人がこれを否定して、意見が合わない者同士で、さらに議論をすることで新たな活力を導いた方が、よりクリエイティブになり、それを引き出すのが民主主義であることを歴史は教えてくれてるはずですが、なぜか人間はお互いに「意見が合わないと、相手を憎み」それを「相手のせい」にして「自分が正しい」を主張し、「故に相手が間違っている」と主張し、分断を助長していきます。これを人為的に行う人の性格や人間性を問うのも一つの方法です。今回の学術会議問題のように火のないところに煙を立てたり、あるいは小さな火種に油を注ぐことを一生懸命やる人がいます。小論文では、当然のことですが、「意見が合わないと相手を憎む系」の人が書くと、即座に不合格になるでしょう。

もう少し小論文として一般的な例に焦点を当てると、こういうことを書いた人がいました。

「母親にとって産後すぐに児と同室でないことは、母親であるという自覚が持ちにくくなり、児とずっと関わらないままだと愛着が形成されず、今後の育児にも悪い影響が出てくる」

書いた人は悪意はないと思いますが、こういう言い方は、出産後のお母さん全般に対して大変失礼ですし、関係、無関係の多くの人を傷つけます。なぜなら、産後すぐに児と同室でなくとも、母親になったという自覚を持つお母さんはたくさんいるはずです。むしろその方が多いはずです。今はNICUがあるから赤ちゃんの死亡率が下がっているのです。赤ちゃんの容態を心配し、不安になるお母さんはいるでしょうが、母親としての自覚を持てなくなるお母さんはむしろ少数と見る方が妥当だと思います。
ここのところ何度も述べてきましたが、大切なのは事実であって、自分の思い込みではありません。「コロナは奇跡のようになくなる。なぜなら私が正しいから」とアメリカ大統領は言いましたが、この人が小論文試験を受けたら間違いなく不合格です。

そうすると、このような文章を書き、それを主張するには、それ相応の根拠が確実に必要になるのですが、根拠も出さずにこのような一節を出してしまうと単なる思い込みです。

そういう思い込みは

「児とずっと関わらないままだと愛着が形成されず、今後の育児にも悪い影響が出てくる」

こういった漠然としたことを書くことにつながります。まず「ずっと」が漠然としています。入院期間中なのか、退院してからも指すのかがわかりません。それにも関わらず
「愛着が形成されない」

と言い切る根拠がありません。そして愛着が形成されていないとどうやって判断するのでしょうか?顔をみたら分かるのでしょうか?もし判断基準があるなら、軽はずみにこういうことは言えないはずです。これは「不勉強」と判断されます。前の大阪市長が相手を攻撃する時によく使う言葉です。彼の場合は、彼が不勉強なのを投影しているのでしょう。いずれにしても「見てもいないこと」を書いたことになるのは避けねばなりません。根拠がないだけならまだしも、見てもいないことを書くのは非常に問題です。今の学術会議問題では、総理大臣が「見てもいないのに任命を拒否」しています。これは差別につながりますし、ルール無用で何だって書けてしまいます。

私は小論文の書き方として、一定のフォーマットを提案しています。それが①「問いの設定」②「回答」③「②を裏付ける根拠及び情報提供」この3点セットを必ず付けるように言っています。以前(前の校舎の時なのでかなり前ですが)、小論文のテストのある大学で、そのフォーマットは自分には難しいから、書けず、「何でもいいから字数だけ埋めればよかった」と言った人が言いました。普段、あまり説教はしませんが、その時はさすがに説教しました。
受験結果はもちろんいつもうまくいくとは限りません。どんな生徒にも私は合格にまぐれはないと言っています。そして不運な不合格もないとも言っています。ですから、不合格の結果が出てしまった場合はしっかり受け止めて、何が足りなかったのかをしっかり分析し、次に活かすことが重要です。今まで多くの生徒と関わってきましたが、ほぼ全員とそういう考え方を共有できたと思います。だから不合格であっても何を鍛えればよいのかが、むしろ明確になったとポジティブに取れることの方が多かったと言えます。

しかし、字数だけ埋めれば・・・という考え方には正直ちょっと閉口してしまいました。昔、大学受験の予備校にいる時には、そんなことを言う人は少なからずいたような記憶はありますが、もちろん私はそんなことは一切教えません。これは明らかに採点者を馬鹿にした発言ですし、それで良いはずがないのです。論文を書く以上は自分の持てる情報を丁寧に読み手に伝え、何を言いたいのかを根拠をもって説明し、正確に伝える必要があります。そしてその文章の責任は全て書き手にあるのです。ですから、より誠実に書こうという意識が必要なのです。根拠を示した説明をしない総理大臣、根拠を示さず、相手が不正をしていると騒ぎ、テレビ中継を中断される大統領。こんな冗談みたいな人が「一国のトップ」(この言い方好きな人いますよね)ですが、国民の規範になるべき人のはずですが、それどころか、小さい子どもには放送禁止にしないといけないようなことばかりするのはあまりにも残念です。

私は論文はその人の性格や人格、今の心理状況や感情、調子などがかなり明確に反映されると考えています。


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井上博文
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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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