お洒落黎明期・・・DCブームの時代―僕たちは確かにバブルの喧噪の中にいた―Ⅱ
今日の目次
・成果物は紙で印刷して
・格調の高い表現を心掛ける
・「腐心」を知らないとは・・
・ほら使われていたじゃないか!
成果物は紙で印刷して
以前、東京でマーケティングリサーチの仕事をしていた頃、クライアントに納品する成果物は、紙に印刷したレポート形式でした。まだ、デジタル系のデータなど、全く普及していない頃の話です。私たちは、数十ページ、ときには数百ページに及ぶレポートを書き上げて、それを印刷編集して納品していたのです。
当時、リサーチを行なって、様々な現場データを集めたあと、それをそのまま生の状態で納品することはしませんでした。必ず、そのデータをさらに分析し、そこから得られる予測や見解といったものを文章化し、レポートの形に仕上げて提出していたのです。
要請されれば、先方の関係者に対して、そのレポートの内容をプレゼンテーションする役割も私たちが引き受けていました。ときにはそのプレゼン会議が4時間5時間に及ぶこともあったのです。
ところで、これから書くお話は、そんなプレゼンテーションについてではなく、提出していたレポートの文章に関するものです。
格調の高い表現を心掛ける
さて、そのレポートの文章を書く際の「表現」について、次のようなことがありました。
先述のように、私たちは収集したデータをそのまま納品するのではなく、必ずそのデータから導き出される傾向や特徴などについて、こちらとしての見解を最終的には文章という形で表現していました。
私はその文章を書くとき、それが表現として相応しいと思えば、古典的な言語やちょっと難しい言い回しを使うこともありました。思春期の頃から、夏目漱石や森鷗外に始まって芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫といった文学作品を読みふけったせいもあると思います。
彼らが書き残してきた言葉や表現は、深い教養に裏打ちされた格調の高いものです。それらは主として、中国の古典文学や日本の古文などを基にしているので、今の世の中から見れば、やや古めかしく難しいものが多いことも事実です。そんな文学作品に影響された私の文章は、どうしてもちょっと硬く見えたり難しく感じたりするようでした。
「腐心」を知らないとは・・
私は、あるときそういったレポートの中の文章に、「腐心している・・」という言葉を使ったことがありました。「腐心」とは、確かに普段あまり使う言葉ではありませんが、そのときの内容に相応しい表現と思ったのです。
言葉の意味は、辞書によれば「事を進めようとして、心を苦しめ悩ますこと。ある物事を成し遂げようと、考え込んでしまうこと」とあります。私も大体そんな意味で使いました。「苦心」とほぼ同義語になります。ただ「苦心」よりはやや深みがあり、ちょっとニュアンス的に違うと思います。
ところが、それを見た会社の他のメンバーに「そんな言葉聞いたことがない。」と、笑われてしまいました。彼らにとって、聞いたことも書いたこともない言葉だったようです。
私は「いや、頻繁に使う言葉ではないが、こういう文章(レポート)の中で使っても別に変な言葉ではないよ。」と、抗弁しました。それでも、「そんな言葉知らない。」と片付けられてしまったのです。
ほら使われていたじゃないか!
私にしてみれば
『おいおい、俺たちは一応ものを書くプロだぜ。これくらいの言葉、知ってろよ!』
と思ったのですが、そのときはそれ以上話しても無駄だと思ったので、議論することはしませんでした。
ところが、それからしばらく経ってからのことです。取引先であるシンクタンクの我々より少し年配の主任研究員の方が、我々とやりとりしている文章の中で「腐心している・・」といった表現を使われていたのです。
その方は、様々な研究テーマなどに関して、レポートを書き起こす筆力については、自他ともに認める実力のある方でした。そんな経歴もあるので、そういった表現に文句をつける人など誰もいません。
私は
「ほら見てみろ。ちゃんと世間では使われている。あんたたちが知らなかっただけじゃないか。」
と、笑った仲間に突き付けたのですが、それに対する返事は特にありませんでした。
ここで本を読んだり、ものを書いたり
つづく


