勉強は本人のやる気次第?

井上博文

井上博文

テーマ:確実に心理系大学院に合格する勉強方法

新年度に入って、新しい環境に入った人は、今はやる気に満ちていると同時に、不安もたくさんあると思います。この交錯状態は結構疲れるので、ゴールデンウィークあたりで、小休止するという日本のやり方はとても良いと思っています。ただ、ゴールデンウィーク明けくらいから、やる気を筆頭に空気など様々な「気」が変わってくるのもこの国の特徴です。6月に休みを入れないのは、何か理由でもあるのでしょうか?いまだによくわかりません。

私は仕事柄なのか、よく「勉強は本人のやる気次第ですよね?」と聞かれます。多くの人がこれを言うし、聞くと思うのですが、冷静に考えると、質問自体が漠然としていて、意味不明な問いです。答えは、「そうだけど、そうではない」にならざるを得ません。
そもそも「やる気」自体、漠然としていて、結果論で示される傾向も強く、結果が出ている人は
やる気があり、出ていなければやる気がないと判断されがちです。結果を伴わないやる気については指標がなく、やる気の有無について、自己申告なのか他人の主観的評価なのかさえも不明です。仕事の場合、社長目線で言えば、結果を出せない部下に対して、社長の主観的判断でやる気の有無が決定されることが多く、そこに部下の反論が反映されることはほぼないと言えるでしょう。だからといって、その意味で部下をやる気にさせる方法があるかと言われると、ほぼないと言えるでしょう。いわゆる「にんじん作戦」のようなものが、一般認知されている時点で、やる気を喚起する戦略などほとんどないと見てよいのではないかと考えられます。

例えばホストクラブのように全員ではやし立てて、盛り上げて、お金を出すという目的を特化した形でのやる気の喚起は可能かもしれません。しかし、それはちょっと・・・です。
当然のこととして、勉強は、やる本人だけのものですので、本来は全て自己責任です。
ただ、「やる気」という言葉が出るのは、やる気の有無が問われているということであり、おそらくは、勉強ができる人はやる気のある人であり、それがどうやら美徳らしい、ということが雰囲気としてつかめます。結論から言えば、やる気など「あった方がいいもの」であって「ないといけないものではない」ということです。どうでもいいとまではいいませんが、個人的にはやる気と、学力や研究能力の高さには関係はないと見ています。

となると、世間様が嫌うのは「やる気がない人」なのでしょう。これは確かに見ていて、不快ですし「嫌ならやめろ」とつい言ってしまいそうになります。もちろん、指導者にとってその言葉はご法度です。

大学院受験における考え方として良くないのは、漠然と
「勉強しないといけない」
「勉強しても意味がない」
「勉強しないとえらくなれない」
「偏差値だけが人生じゃない」
などなど数え切れないくらいあります。私たち研究業界にいる者は、勉強を
「するかしないか」
「したいかどうか」
「したらどうなるか」
「したら得か損か」
こういった選択肢はあまり考えない人が大半ではないかと思います。やる気がないないならやめるしかありませんからやる気の有無を問われることもまずありません。大学の先生で、授業をやりたくないという先生はいても勉強や研究をしたくないという先生には出会ったことはないです。それからしても
「本人のやる気次第ですよね?」
という疑問には違和感を抱きます。では、やる気を引き出すコツはあるのでしょうか?
そんなものありませんと言いたい部分もありますが、なくもないかなと思います。
と言っても、やる気があるのかないのかは本人であってもわからないことが多いです。
「さあやる気を出すぞ」
と、言う人にもあまり出会いませんが、仮にそれを言うとして、言わないといけないということはすなわち、その時点ではやる気はないわけですし、仮にやる気がないにしてもどの程度ないかは、その人次第ということになります。言い換えると、やる気がゼロでなければ、何とかなるのではないかと考えています。カウンセリングをするとよくわかりますが、やる気がゼロならそもそもカウンセリングに来ませんので、どんなに斜にかまえたことを言っていたとしても、こちらの目の前にいてくれる時点で、やる気はそれなりにあると見るべきでしょう。仮にやる気が五分五分なら、それを引き出せない指導者は失格でしょう。当塾の塾生で、そもそも勉強がしたくないと言った人はほとんどいません。かつて、やや年配の人で、「ここに来たら、勉強せんでも合格させてくれるんやろ?」と言ってきた人がいました。もちろん、否定しましたが、その人でもやる気がないわけではなさそうでした。

だから、私は「やる気次第」という言葉は、特に指導者が言うのは「私は何もしませんよ」という逃げ口上だと考えています。ゼロでないことが前提にはなりますが、よく観察して、手間を惜しまなければ、こちらがそれほど手を加えなくても自然にやる気を持つ人が多いと言えます。

随分前に東京の塾で3000人待ちの塾が話題になったことがありました。私が見たわけではないので詳細は知りませんが、キャッチフレーズは「子どものやる気を育てる」だったそうです。例えば嫌いな食べ物を食べられると、みんなで一斉に褒めるのだそうです。私はよく「褒めて伸ばすタイプの先生ですね」と言われるのですが、私はあまり褒めている意識はありません。もちろん、けなすことは絶対にしません。今できていることを「できている」と指摘すると、「褒められた」と感じる人が多いようです。これは重要なことだと考えています。私からすると、普通のことです。できていることをできていると言うだけですから、特別なことは何もしていません。しかし、歪んだ教育を受けていると、この普通のことを特別と感じてしまうのだと思います。

つまり、やる気を引き出すのではなくて、もともとあるやる気を阻害しない、余計な手を加えない。できていることをただできていると指摘する。できていないことを咎めない。本人がどうすればできるようになるかに関心を持ち始めると、すでにやる気は十分ですので、その背中を押す。こんなもんだと思います。

今、当塾も、たくさんの面談を希望される方に来て頂いています。そして、様々な大学院進学や
編入学に対する思いを伺っています。やはり皆さんどこかで一言
「結局は私のやる気次第ですよね」
と言われます。しかし、当塾に相談に来られている時点でやる気は十分にあるということです。
やる気は他人に育ててもらうものではありません。やる気は、自分できっかけをつかみ、自分で育てるものと言えますが、良い指導者は、やる気を損ねず、自分はやる気があるのだということを本人に気づかせることができる人ということになります。


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井上博文
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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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