憲法記念日に思う

井上博文

井上博文

テーマ:雑感

憲法記念日です。
雑感として、このコラムを始めてからこのトピックに触れるのは3回目です。
昨年
一昨年
毎年、この日は思うことがたくさんあります。
とりわけ、私たち学問を扱う職業人にとって、憲法は重要なトピックです。
学問は、須く、資料を読みます。これは文献学に限ったことではありません。
たとえ、「臨床」と名がついていて、人を対象とする学問であっても、
資料を正確に読む能力が必要であることに変わりはありません。
私たちは資料を正確に読む能力が求められています。
その分野の資料が読める能力のことを「専門」というわけです。
たとえば、発掘をしていて、期せずして、何か文字の書かれてあるものが
出土した場合、それを読める人を専門家と言います。
その場合、いかなる専門家であっても、それを名乗る以上、資料を
自分の都合で読んではなりません。これは学問の世界の基本的かつ
最低限のルールです。

何とか大学博士を名乗っていても、資料を自分の都合の良いようにしか
読むことができず、その上で都合の良い部分だけを切り取って、貼り付けて、
つなげて、作文をし、そこに自分だけにしか通用しない解釈を加えて
「故に私が正しい」「故に相手が間違っている」としたり、さすがにそれは無理が
あると思うと「故に怪しい」「疑惑がある」などと、理屈にもならない理屈を創作する
愚か者もいます。「怪しい」や「疑惑がある」などと言っていいなら、専門家でなくとも、
いつでも誰でも言えます。たとえば、
「聖徳太子が実在したかどうか疑惑がある」
と言おうと思えば誰でも言えるのと同じことです。都合の良い、疑惑説だけを並べれば
言うのはタダです。本来、専門家はこういったことを安直には言いません。
実在したと考えられる資料もたくさんあるからです。それらを全部否定しない限り、
「実在しなかったとは言えない」という基本的なことを理解しているからでもあります。
また他人のことを怪しいという人間ほど、自分が怪しいと言っているようなものですから、
叩けば埃が出る人でしょう。しかし、こういった輩ほど
「自分は他人の攻撃をしてもいいが、他人は自分の攻撃をしてはならない」
と考えており、他人の存在を全く認められない狭量な人間と言えるでしょう。
こういった愚か者は本来専門家とは言えないのですが、何かの間違いで、
何とか大学博士を名乗ると、自分の大学の名誉まで傷つけることになります。
是非名乗るのをやめてもらいたいものですが、研究者の世界では、
こういった人間は遠からず排除されます。

憲法記念日になると、こういった愚か者のことをつい思い出してしまいます。
玉石混淆になりやすいトピックなのかもしれません。

私が憲法についてどう考えるかは、基本的には変わっていません。
この問題は、それこそ玉石混淆で、議論し続けるのが結局のところ良いのだと思います。
実際、何が玉で何が石であるかは、わかりにくい面もあります。それだけ、我々の関心が
低いとも言えるのです。故に、改憲か護憲かの二者択一論ではなく、もっと多様な意見が
出ることが望ましいのだと思います。私の考えでは、一条ずつ重要性の高いものを選んで
(政治家や役人ではなく国民が)、
それを変えたら、それをベースにしている法律にどう影響があるかを議論して、
その上で変えるかどうかを投票する、くらいの手続きをしたら良いと思っています。
それが面倒くさいから、何とか党案に沿って変えるというのは、断じてあっては
ならないことです。これだけ憲法改正と言われつつも、メディアも滅多に報じないのは、
どの条文に問題があって、それをどう変えるべきかという問題です。
この問題こそが大事なことであって、九条だけの問題ではないはずです。
九条さえ変えなければ、他はどうでもいいかの如き論調には閉口します。
また何が何でも九条を変えろというのも同様です。
第何条が、誰にどんな不利益をもたらし、それが現代にどう合っておらず、
どの程度現実とかけ離れているのかについて、ほとんど誰も知りません。
憲法学者以外にももっとメディアが報じても良いのではないかと思います。

国民的議論にならないのであるならば、変えない方が良いのでしょう。
大多数の国民が興味がないのなら、現時点で必然性を感じていないということでしょう。
それが、この国の国民にとって、どういった方向に導くのかは、自分の運命ですから
自分たちで責任を負うべきことです。
今年で68年になりますが、それだけ長きにわたって、残ってきたということは
少なくとも国民に不利益は少なかったのかもしれません。
また、改憲は急を要するわけでもなさそうです。
(アメリカとの外交ではそうでないかもしれませんが)
政治家や外交官にとっては、拘束が多く、仕事がしにくかったかもしれませんが、
本来、憲法とはそういったものでしょうから、彼らの仕事をやりやすくするということは
それを都合良く利用しようとする他国にとっても、仕事がしやすくなるということでも
あります。「グローバル」だから、憲法を変えるというのは、当たらないということです。
グローバルであるならば、余計にこの国はこうやって政治家や役人を拘束している
ということを主張することは大切なことではないかと考えています。
政治家が動きやすことが良い政治であることを歴史は否定します。
何事もバランスが大切ですが、政治、行政、国民のバランスを重視した観点から
憲法と、学問的態度で向き合い、自分の都合で勝手に歪めずに正確に読み、
その上で、どこをどう変えるかを玉石混淆であっても、一条ずつ議論を続ける。
これが重要だと考えます。

グローバル時代だからこそ、皆が真剣に一条ずつ憲法について考えるべきなのだと思います。


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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

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