力が発揮できないのは不安に負けているからです
フランスの「シャルリー・エブド」誌襲撃事件に関連して重要な記事が出ていました。
「許す」と「赦す」
この記事は読売新聞の
「最新号の表紙には、ムハンマドとされる男性が、泣きながら
『ジュ・スイ・シャルリー(私はシャルリー)』との標語を掲げる風刺画が描かれている。
この標語は、仏国民が事件後、表現の自由を訴えるスローガンとして使った。
表紙には、ムハンマドのターバンの色とされ、イスラム教徒が神聖視する緑色を使った。
また、『すべては許される』との見出しも付け、ムハンマドの風刺も『表現の自由』の
枠内との見解を訴えたと見られる。」
という一文の誤訳と事実誤認を指摘したものですが、それだけにとどまらず、
この表紙にはもっと深い意味があるということを説いています。
自分たちにとって不快なことを書かれたり、言われたりすると
テロという暴力で報復する者が存在することはどうすることもできませんが、
仲間が殺されたことに対して、尚深い教養と少しのユーモアで応じたその気概は
私たちも見習わねばならない点がたくさんあると思います。
ユーモアには教養が必要です。今年度は「ユーモアコーピング」
というテーマで研究計画を書いた人が数名いましたが、
決して簡単なテーマではありません。ユーモア川柳というものもありますが、
深い洞察がないと書けませんし、読んでみて、深いところから
湧き上がってくる笑いは、ある意味快感です。
私も約一年前に大嘘による誹謗中傷を受けました。
会ったこともない私を、予告もなくいきなり誹謗中傷し、しかも全部嘘。
これは通り魔と同じです。
相手方に反省する気配は全くなく、いまだ強烈な怒りの感情が湧き上がってきます。
しかし、これで私が同じことで「報復」したのでは、同じレベルの人間に
なってしまいます。そうならないことを、せめてもの誇りとしなければなりません。
またこういった輩ほど、自分が被害者であると言います。それ故「報復した」と。
残念ながら、こういった輩を止める術はありません。
だから公的機関に処理を依頼するなど、法に則った形で自己防衛すること
くらいしかできません。また、それ以外のことをしてはならないのです。
シャルリー誌は、これとは比べものにならないことをされました。
(それでも私の中ではとてつもなく重いことです)
日本の論調の中では「しょうがない」「テロリストを刺激した方が悪い」といったものも
見受けられます。おそらく、シャルリー誌とて、こういったテロを「あり得ないこと」と
考えていたわけではないと思います。それでも尚テロに屈さず、表現の自由を守り続け、
攻撃を受け、悲しみの中にあっても尚、「報復」をせず、ユーモアを交えながら、
「全部許し合おう」というメッセージを送っているのだと思われます。
この方法が良い方法であるかどうかは議論があるでしょうし、私に出来るかと言われると、
はっきり言って小さいことで、怒り心頭に発してしまう私には自信がありません。
しかし、言論を駆使する人間である以上、こういったテロに屈さない気概を
持つのと同時に、暴力ではなく教養とユーモアで応じることに誇りを持てる人間になることは
是非目標としておきたいと考えています。
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