研究計画書でレジリエンスを使う人が増えています

井上博文

井上博文

テーマ:実は難しい研究計画作成方法

震災以後からでしょうか。
「レジリエンス(resilience)」という言葉をよく聞くようになりました。京都コムニタスでもよくこのテーマで研究計画を書く人がいます。これは「精神的(心理的)回復力」といったイメージですが、基本的には理系用語で結果が先にあります。本来は、企業の自己回復力などに使われます。
アメリカ心理学会では
「レジリエンスとは、ストレスに直面したときに適切に対応する能力を意味する。困難な経験から立ち上がること」
とされます。大阪の公共はレジリエンスがなくなっている状態です。万博、カジノ以前に組織が自己回復力を失っているので、野球なら「こっちにボール飛んでくるなよ」、サッカーなら「こっちにパス出すなよ」企業なら「いらんことすんなや、仕事増えるやろーが」という状況です。組織内の人間皆が興味を持たず、何もしない、仕事をしない理由を作る状態です。官乱れ国滅ぶの典型です。
企業は、こうならない工夫を日頃からしておく必要があります。

このレジリエンスは、心理学では震災以後、テレビの報道もあり、よく見られるようになりました。例えば、震災など大変な出来事に直面してしまった際、全員が何らかの心の傷を負うわけですが、だからといって全員がPTSDなどのディスオーダーになるわけではありません。どちらかと言えばならない人の方が多く、なる人は20パーセント未満という数字が一般的と思います。ではどこにその違いがあるのかという問題に対する仮説としてレジリエンスがあるからという前提を立てて、それを調査するのがレジリエンス研究ということになります。
よく言われるのは自尊感情が高いとレジリエンスが高いという指摘です。だから、自尊感情が低いとレジリエンスも低いという理屈が成立しそうです。

以前、NHKで折れない心の育て方と表して特集されました。そこでは「逆境から立ち直る力」と定義されています。この記事の内容には少し違和感もありますが、同意できる点も多々あります。

「一般的に“心が強い”とイメージするのは、“鋼のような”、“跳ね返す”、“硬い”、“頑丈な”というイメージを持つが、レジリエンスというのは、楽観性のように自分のいる状況に対して前向きに、不安とかそういうものに打ち負けないでしなやかにこなしていく。そういう心の持ちようがレジリエンスだということが、研究の中でだんだんと明らかにされてますね。」


このような指摘がありましたが、REBTと言っていることは同じです。鋼のような強さを追求するのではなく、しなやかさを追求する方が「折れない」ということにつながるということです。それをレジリエンスと呼ぶか否かはともかくとして、ここで指摘されている4つの要素は重要です。
①楽観性
②自己効力感
③自尊感情
④感情コントロール
これは個人だけに関わらず、国家レベルでも同じことだと言えます。この要素に余計なものが入ると、途端に心が弱くなります。例えば自尊感情に「なめられてはいけない」という少し違った思考が混ざると不純になり、それが「なめられたからムカつく」という怒りの感情を生み、エネルギーを無駄に消費し、結局自分の心が折れるという悪循環にはまり込みます。その意味で、誰しもが学んでおいて損のない概念と言えると思います。

REBTとレジリエンスの書籍として、
マイケル・ニーナン (著), 石垣 琢麿 (翻訳), 柳沢 圭子 (翻訳)
『あなたの自己回復力を育てる―認知行動療法とレジリエンス』(金剛出版)
この本はちょっと難解ですが、とても情報量が多く、素晴らしい本です。




レジリエンスは、私が京都コムニタスで、最初にこの言葉に出会ったときは、心理的回復力の仮説というイメージでしたが、それが、可変物と見なされるようになり、さらにマインドフルネスなどにより、成長するものと見られるようになり、折れない心、しなやかな心という見方がされるようになりました。それがさらに進んで、かりに折れても、死にはしない。折れても、まぁなんとかなるさと考える心にもなり得るように変容してきています。この数年、レジリエンスがどんどん発展しており、それだけ多方面から注目を受ける概念だということだと思います。

今年の生徒さんの中にもこのレジリエンスで研究計画を進めている人がいます。ここ数年、レジリエンスを扱いたいという人は、京都コムニタスでも増えていますがそれぞれ志が異なります。それだけ応用幅が広がったということでもあり、しばらくこの傾向は続きそうです。

時には、我慢して、また時にはずぶとく、また時には受け流す、そんな心を作っていくことは、今の時代本当に大切なことだと思います。

追い込まれたり、疲労が重なると視野が狭くなります。卵鶏はともかく、視野がせまくなるとイラショナルビリーフがたくさん発生し、そのうち「まぁ、いいか」ということが、頭の中で言えなくなってしまいます。真面目な人ほどそうなりがちとよく言われます。そういったときに、まずやっておきたいことは、自己分析です。仏教的な言い方をすると、完全な一つの個体の自己は存在しません。私たち人間も含めて、無数の直接原因と間接原因の寄せ集めが、相互に依存し合い、支え合って、「今の自分」と認識できるものが生起し、存在します。この考え方を「縁起」と言います。
仏教の最も基本的な考え方です。
むしろ、細胞や遺伝子などの生命科学にも近い考え方かもしれません。この「今の自分」が何でできているか、パーツを分析してみると、あまりにもたくさんのものでできていることがわかります。例えば、「今の自分」ができあがるために、不可欠だった人が、誰にでもいると思います。親、兄弟など家族がまずいます。恩師もいます。お世話になった人、友人もいます。ちょっとした出会いの人もいます。恋人もいます。もしかしたら強敵(北斗の拳では「とも」とルビをうつ)もいるかもしれません。私なら教え子もいます。
他にももっといると思いますが、主だった人だけをあげても無数にいます。これは、長い年月生きれば生きるほど増えていきます。そして決して消えません。一生積み重なっていくものです。行き詰まった時、心が折れそうになるとこういった人も含めて、自分のパーツを細かく分析するのです。さらに、例えば自分の師匠を思い浮かべたとすると、師匠の師匠がおり、その前にもまた師匠がおり、といった風にさかのぼっていくと、実は、「今の自分」という存在がいかに目に見えない、かつ時間を超えた悠久のネットワークに支えられているかということに気づきます。そう考えると、今の絶望感も小さいこととして捉えることが可能であり「まぁ、死ぬほどのことではないか」という回答にたどり着く一つの道筋になるのではないかと思うのです。
一応私も含めて、研究者は絶望感に陥りやすい位置にいます。
安定という道(これはこれで幻想と思いますが)を捨てて、自分の信じる細い道を進んだ結果、むしろ多くの人が絶望感を感じると思います。一見世間が羨むきらびやかなキャリアがあったとしても、一つの失敗で絶望を感じてしまうような世界と言えなくもないかと思います。私はそういった世界を否定するつもりはありません。結果が全てで良いと思うのですが、セルフヘルプのスキルも併せて身につけておかねば、とりわけこれからの時代、心がすり減っていく時代になるのかもしれません。


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井上博文
専門家

井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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