言論の自由、発言の自由、解釈の自由
日増しにロシアの侵略がエスカレートし、ウクライナの罪なき民間人が虐殺されています。わずかな募金以外何もできない自分にもどかしさを感じざるを得ません。あらためて異常者の政治家が出たときに、誰も止めることができないことが世界に露見し、過去の大戦の反省など誰もしていないことがよくわかります。個人的にはパラリンピック開幕にあたって、中国がロシアを一時でも止めてくれると期待しましたが、同じ狢でした。そりゃオリンピックの時に密約してるわな・・それでも中国が本気になればプーチンを止められたはずですから、そこに一縷の望みを持っていました。とても残念です。オリンピック停戦など知ったこっちゃないのでしょう。やはり中国も同じ野望を持っているのでしょうし、その時プーチンは協力するでしょう。そこでまたオリンピックが利用されます。さすがにベルリンオリンピックを利用したヒトラーも驚くでしょう。
ウクライナに群がるアウトレイジというコラムでも言いましたが、これはアウトレイジであって、異常者はプーチンだけではありません。どこの政治禍も同じことです。民間人を平気で殺せる人間は、個人であれば、あれほどメディアは鬼悪魔のように報道するのに、政治となると、プーチンの真意は?バイデンの戦略は?・・・経済制裁に効果はあるのか?トランプだったら戦争にならなかった?こういった評論?にもならない評論を想像力のない頭で真面目な顔をしてやること自体頭がおかしいのだろうと思います。こんな時でも、グルメだの、無芸の芸人などを垂れ流し、侵略で殺された人にまったく寄り添わないメディアも含めて、異常者の集まりです。戦時中のメディアがどんな状況であったかを知る術はありませんが、こんな感じだったのだろうと想像します。一般人が他人事だと思っている間に、あれよあれよという間に大戦にのみ込まれていったのです。そして気付けばプレデターやエイリアンが手を組み、ターミネーターが世界の極悪人、今のプーチン以上の悪人に仕立て上げられたのです。そして原爆を落とされ、プレデターやエイリアンに、ターミネーターが自分たちの悪行三昧は全部棚に上げて、正義面をされて一方的に裁かれたのです。おぞましいことこの上なしです。こういったアウトレイジの連中が、世界を破滅に追いやるのだと信じて疑いません。こういった異常者は、世界の富の上位50%を占める人数が実はごくわずかな人数だというのと同じで、実はごくわずかしかいません。これはいつの時代も形は違えど、理屈は同じです。
「誰も止めることができない」場合、やれることを考えるのが普通だろうと思います。その場合、学術者やロシアやその周辺地域の専門家は、それぞれの観点の確実な事実の分析をすることは重要なことです。佐藤優氏のような専門家の声は、私たちは是非耳を傾けねばなりません。本来、メディアは、私たち名もなき人間がどうすれば、ロシア(正確にはプーチン)を止められるかのみの一点集中で議論すべきであって、それをすると「核戦争以外にない」という結論に行き着いたとしても、それでも知恵はもっとあるはずです。これだけ頭が良いと思っている人が世の中にいるわけですから、そういった知恵を取材しまくるのがメディアの仕事のはずです。もちろん、複合技になりますし、世界の協力があってのことです。
こちらのツイッターではいろんな大学がロシアのウクライナ侵略に対する抗議やそれに近い声明を出しているのをまとめてくれています。
この記事も大学の抗議について触れています。個人的には、大学の声明はあまりに少ないのではないかと思います。さすがにロシアの侵略を支持する大学はないと期待したいですが、そんな学校には行くことはおすすめできません。
一般の大学ができることはこれくらいのことだろうと思います。しかし、全国の大学が連携して学長方が集まって、会議をして、ロシアを止める知恵を出し合うことは、簡単ではありませんが、取り組みくらいはすべきだと思います。
私はよく
「この世で一番大事なものはバランス感覚」
「この世で一番だめなものは無関心」
と授業でもいつも言っています。
こちら
それだけあらゆることに興味、関心を持つようにして欲しいと塾生に願っています。
興味、関心を持つということは、すなわち疑問を持つということにつながります。そして、適切な興味の持ち方をする必要があります。「適性な」というのは「バランスが取れた」と言い換えることができると思います。不適切な興味を持つと、ストーカーのようになったり、相手に嫌がられたりします。今核爆弾に異常な興味を示しているのが、前々総理大臣です。今、この人が総理大臣でなくて心の底から良かったと思います。現総理は広島出身ですので、原爆の痛みを知っていると信じたいです。
しかし、無関心だけはどうしようもありません。興味がないと言い切る人に興味を持たせることは至難です。仕事でも勉強でも同じ事です。臨床心理士になったものの、他人に興味がない人は
クライエントの変化、微妙な言葉のロジックの変化態度の変化、服装の変化、様々な変化があります。我々は、その変化の逐一に反応する必要はないと思います。しかし、興味そのものがないのは、後に取り返しがつかないことが起こる可能性が十分にあります。
例えば今のようないじめでも、いじめがあったことに気付かなかったという話がよくありますが、よほど巧妙に隠蔽していない限り、誰かが気付いてもおかしくはないと思いますが、現実に誰にも関心を抱かれていなかったということは様々な意味で不幸ですし、場合によっては命を失うことさえ起こりうる時代です。
興味を「見る(観る、診る、看る)」といった行為につながると思います。これだけたくさんの「みる」があるということは先人たちはこの行為を重視し、細分してきたわけです。すべては関心から始まります。興味のないものを「みる」ことはまずないでしょう。少なくとも「関心・興味がない」というのは最もいけないことだと私は考えています。
***************************
公式ホームページ
大学院・大学編入受験専門塾 京都コムニタス
臨床心理士・公認心理師大学院受験コース入塾説明会
入塾説明会情報
合格速報
コムニタス総合研究所
公認心理師試験対策講座
公認心理師試験対策 全国模試
ご質問・お問い合わせはこちら
自分磨きのための仏教
龍谷ミュージアム