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井上博文

大学院・大学編入受験のプロ

井上博文(いのうえひろふみ) / 塾講師

株式会社コムニタス

コラム

今こそ無関心からの脱却を

2021年6月24日

テーマ:思考方法

コラムカテゴリ:スクール・習い事

オリンピックがいよいよ開催される方向です。そのあとパラリンピックがあります。この間、コロナがどうなるかについて、わからないことだらけです。政治禍は、もはや言うまでもなく、嘘と強弁と、無理難題しか言いません。この先は、死者が出ると「人は誰でも死ぬ」と言うでしょうし、情報を出すように言われても「個別の案件には答えない」でしょうし、明らかにおかしなこと批判されても「批判は当たらない」と言うだけでしょうし、責任が問われても「痛感」するだけでしょう。この事件もたった一人の人が巨悪中の巨悪の最悪と戦っているわけですが、与党の中にまともな人がいないことが残念でなりませんし、一般人がおかしいものはおかしいと声をあげていく必要があると思うのですが、ほとんどの人は「どうせ・・」となってしまいます。

私たちは「知らない」ということと「無関心」であることとを、しばしば勝手に同義にしてしまっていることがあります。典型的なのは「無宗教」という言葉です。私たち日本人はあなたの宗教は何ですかと問われると、多くは無宗教か、漠然と仏教と答えると思います。自分が、例えば●●宗●●派であるなどと知っている人の方が少ないと思います。しかし、海外ではそうではありません。近辺のいくつかの国は別として、多くの国では宗教に関しては無関心ではありません。宗教と人生哲学は一致しており、無宗教者ほど宗教に無関心ではありません。しかし、無宗教と言い切ることの意味を私たちは考えたことはあるでしょうか。ほぼないと思います。

例えば、クリスマスを祝った数日後に、神社に初詣に行って、ついでに寺にも行く。こういった行為のことを指しているのではありません。私はこういう行為はむしろ日本人の寛容さと捉えていますので、全く肯定しています。しかし、無宗教と言い切るからには、全ての宗教を信仰しない理由が本来は必要です。私の知る本当の意味での無宗教者は、むしろかなり宗教的知識が豊富です。その上でどの宗教も信仰しないことを明言しているのです。私もかつてあるインドの人と会話をした時に、やはり宗教を聞かれました。当時はあまり知識もなく、そういう質問を受けること自体、「めんどくさい」と考え、何も考えずに「無宗教」と答えました。そうすると余計めんどくさいことになったのですが、「日本人はインド伝来の仏教を信仰すると聞いているが、無宗教と言うからには全ての宗教を否定するだけの根拠を教えて欲しい」と言われました。もちろん私にそんな知識はありません。そうすると
「あなたは無宗教なのではなく、単なる宗教的無知です」
と言われました。あの時のignoranceという響きは、今も私の中に刻まれています。この話は必修でもよくするのですが、私の人生の衝撃的な事件の一つです。反省するとともに、根本的に自分の何かを見つめ直さねばならないとも思いました。無関心から来る無知であることを、さも当然の如く無存在に置き換えるのは愚かであることを知る必要はあると思います。
指導者は、指導する相手に興味を持たせる工夫をすべきです。


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