阪神大震災から27年

井上博文

井上博文

テーマ:雑感

毎年書いてますが、1月17日は阪神大震災のあった日です。年月のたつのは早いもので、もう震災と言えば、東日本大震災が想起されますし、被害の規模も甚大でした。もはや東日本大震災でさえも記憶にないという人も大人になってきています。それでも一人の当事者として、刻み込まれた記憶を辿って、当時を振り返ることは必要だと思っています。
当時は震度というのも曖昧で、「とにかく大きかった」という印象を周囲と話し合っていました。当時は、あれ以上の地震や災害は、金輪際ないのではないかと、思っていました。しかし、諸行無常、一切皆苦の世にあって、そんなことは決してなく、その後も東日本大震災に限らず、覚えきれないくらいの地震や土砂くずれ、水害、そして疫病と次から次と厄災が襲ってきます。子どものころは厄年や厄落としや、祈祷など、なんとなくあるもので、そういうものもやっておいた方がいいもので、特段必要のあるものだとは思っていませんでした。しかし、日本には様々な祈りやまつりごとがあります。それは、人智及ばざるものに対する畏敬の象徴だと言えます。だから、地獄を「他人が行く場所」と理解して、「あそこで責め苦をうけている人は、生前何か悪いことをしたのかな」くらいに他人事で、自分が行くところとしない、という見方が具わっています。
しかし、私たちがなんとなくイメージする地獄は、多くの場合、恵心僧都源信の『往生要集』によるところが大きく、そこでは厭離穢土、欣求浄土と記され、穢れた土地を離れ、浄土を求めるわけですが、穢れた土地とは要は私たちの住む世界です。源信の時代は平安末期で、刀を持った暴力者同士のケンカのチャンピオンが総理大臣になっていく基礎固めの時代です。日照り干ばつすら天災の時代です。冬になると、餓死、凍死が当たり前の時代です。疫病はノーガードでかかっていく時代です。姥捨て山などと言われ、疫病が出る前に、高齢になると、生きている人を門外に捨ててしまう時代です。おそらく京都はかなりの地獄絵図であっただろうと思われます。そんな土地を離れて浄土を願う人々が増えたのは当然のことと言えます。

翻って、科学が進んだ現代であっても、天災、疫病は変わることなく襲ってきます。歴史の教科書には戦争ばかり書いていますが(それはそれで人災です)、一方で、天災、疫病と対峙してきた歴史もあります。しかし、それはそれだけ多くの犠牲があってのことでもあります。

現代社会は、そういった多くの人の犠牲を基礎になりたっています。科学者は、その最先端で研究をして、科学を進歩させてきました。戦争をさせる政治禍は最後まで最後列で、最後まで自分だけは逃げようとします。天災、疫病、政治禍人災という数々の苦難を人々は乗り越えて今があります。その対策も年々アップデートされているはずですが、それでも災害は、軽く人智を超えてしまうという面も忘れてはいけないことなのだろうと思います。

こう言っている時に、トンガで海底火山が噴火したとの情報がありますが、ほとんど情報がないようです。なかなか予測さえできないような災害です。被害が少ないことを願います。


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