ついに来てしまった恐怖

井上博文

井上博文

テーマ:雑感

すでに何回かは書いたことですが、今の政権に私は強い恐怖感を持っています。随分前にいつか感じた恐怖というコラムを書きましたが、その時に書いたことがいまだに繰り返され続けています。昔なら「事件」にされたことが、あまりにも多すぎて飽きっぽい人でなくても、過去に何があったか忘れてしまいます。だからあったことを力技でなかったことにすることを「権力」と考えている人が政権を担うとクセになりますから、際限がなくなって、何度でも同じこと、あるいはそれ以上のことを繰り返すわけです。私は、今回の桜を見る会云々の問題が政権にどんな影響を及ぼすかにはあまり関心がありません。どんなことがあっても、恥を恥と思わず、やめることは絶対にしないと心に決めている人をやめさせることは不可能に近いということをこの国の国民はかなり学習した七年間だったことを思えば、今回も「どうなるのかな」くらいの関心です。

今の政権がどうなるのか、などの問題よりも重要なことは、今回は一流ホテルが犠牲になるのでしょうから、いよいよ民間企業が犠牲になる時がやってきたことです。今頃、改竄と隠蔽の圧力が(建前上は勝手に忖度して)かかっているのでしょうから、戦々恐々だろうと思います。私ごときが感じる恐怖の何倍も感じているのではないかと思われます。私個人としてはこの日が来るのを最も恐怖だと感じていましたので、何年も前からこのようなことを書いてきました。要するに、お役所の役人様や政治家様たちが、下々のことなど知ったこっちゃない、という話であるならば、私たち下々の一般人に被害はあるようで、「巡り巡って」という類のものになります。例えば、三本の矢という名前は誰も言わなくなりましたが、一本もかすらなくとも、そもそもどうでもいい話であったわけで、実は一般人には「良いこと」も「悪いこと」もそれほどの影響などありません。オリンピック後に大変なことになることは予想されていますから、私の知り合いのトレーダーたちは、今更ながら「出口戦略がない」などと政権批判を始めて、遅まきながら恐怖を感じていますが、私個人には全く影響はありません。むしろ、少なからず儲けた人もいるのは事実です。その後大変なことになったとしても、それは自己責任と切って捨てられても、仕方がないのかもしれません。北方領土が余計悪くなっても、拉致被害者が一人も帰ってこなくても、誰も何も言わないのであるならば、そもそも国民という人々は興味がなかったのかもしれません。もちろん、海外で犠牲になる公務員のことを思えば、「関係がない」という思いを持つことが望ましいことではありません。憲法を「新しい解釈をする」と言った同じ口が「自衛隊を加える」と言っても、詰まるところ、私も含めて、自分に実害がなければ、「どうぞご勝手に」という思いがあったのだろうと思います。このコラムこのコラムも役人が被害を受けるのでしょうが、その後、「見返り」があるのでしょうから、ある意味ウインウインの関係であったと言えますし、一般人の我々が関心をもったところで所詮・・だったと思います。
 
しかし、繰り返しになりますが、いよいよ彼らの嘘が民間に被害を及ぼすようになってきました。質が変わってきたのです。今は巻き込まれる被害を恐れるのが精一杯ですが、これが、「狙い撃ち」されるようにさらなる変質をすると、いよいよ実害が一般人に及んできたということです。「桜を見る会」はいともあっさり「なかったこと」にされたわけですが、そこに連座された民間に被害が及ぶということは、仮にこのホテルが政権に不利なことをした場合「ホテル業界の改革」と称した「狙い撃ち」を恐れなくてはならなくなったということです。すべてホテルが悪く、ホテル業界のあり方、ホテル業界の値段設定に問題があったとされることを恐れなくてはならなくなったということです。ホテルが今インバウンドで重要な役割を果たしていることなどお構いなしでしょう。すでに私たち塾業界は「教育産業」として、大学受験における英語の民間試験導入問題の余波が来ています。あたかも民間業者が悪いかのように言う政権応援者の官製ネット民が現れていますので、塾業界としては大迷惑です。私たちは「狙い撃ち」のスコープにすでに入っているのです。「改革」される可能性を恐れなくてはなりません。関わりたくないとこちらが思っていても、意味不明な政策に知らないうちに巻き込まれてしまうのです。また防御ができないのです。だからしつこいようですが、恐ろしいのです。殴られることがわかっている状態であるのに、見えないところから、いつどこから、どんな強さで、何回殴られるか、終わりがあるのかないのか、わからない状態を想像してもらえればこの恐怖の意味がわかってもらえると思います。こうなると、いつ自分が殴られるかがわからず、こわいので、先に理不尽に殴られている人がいても「見て見ぬふり」をせざるを得なくなります。ここで声をあげたり、行動をとる勇気が自分に具わっていると言い切ることができません。そんな社会がやってきてしまったのです。決して大げさな話ではありません。

おそらく総理大臣には悪意があって「桜を見る会」を私物化したのではないと思います。彼からすると周りがそう言ってるだけでしょうし、税金を使ったとしても「微々たる」金額なのだろうと思いますので、純粋に自分の支持者をもてなしたかったのかもしれません。しかし、その種の純粋さを権力者が持っていると、これは脅威以外何物でもありません。よほど権謀術数手練手管の方がマシだと思います。頭を使う分、ある程度のバランスは取りますし、やりすぎは良くないと考えますから、「ほどほど」でやめるのです。被害を受けることはしょうがないと割り切らないといけないときも現実にはあります。清濁混在など現実にはいくらでもあります。それを併せ飲むのが政治家やトップの仕事です。被害がありそうな時は、「最小限」に押さえるという判断も必要です。これも工夫であり智慧なのです。トリアージという言葉はその一つだと思います。しかし、今の総理大臣は、いざ自分が被害を受けそうになると、自分だけの被害をゼロにしようとまた「純粋」に考えてしまいます。自分だけが清廉潔白であると言い出します。その際、当然誰かに責任をなすりつけるわけですが、このなすりつけられる先が民間に来てしまったということです。公務員なら巻き込んでも良いという話ではないのですが、質が違うというのは、民間の場合、営利企業ですから、いくら総理大臣でも「お得意様」以上にはなりません。しかし、この種の「純粋」な人は、「全ての人」が対象になってしますから、官僚と民間人の区別がついていません。皆が自分に忖度するであろうというビリーフを権力者が持つことほど恐ろしいことはないのです。民主主義が壊れた瞬間でもあります。歴史上人類は何回もこれを経験して、何回もこれで失敗しているのです。「最後」は必ず民間人が大きな被害を受けて終わるのです。心ある政治家は、民間人に被害が及ぶ前に責任を取るのですが、予測として、この方はそれはしないだろうと思っていましたが、ついにこの日が来てしまったという思いです。周囲に心あるブレーンがいることを心底願っています。
私たち研究を生業とする者は、こういった社会になった時、始皇帝の焚書坑儒から始まって、苦難の歴史を繰り返して来ました。多くの人は意外に思うのですが、ナチスに荷担してしまった偉大な仏教学者もいるのです。仏教と政治など関係ないと思うなかれ、です。仏教はかつてのヨーロッパ列強の植民地支配と大いに関わってしまったのです。ナチスは別にただの暴力集団ではありません。オリンピックも開催しました。私が知る限り聖火ランナーはナチスが始めたのではなかったでしょうか。オリンピックを今の形に変質させたのまぎれもなくナチスです。またナチスは世界中に研究者を派遣していました。自分たちがアーリア人の末裔であることを証明する材料を探させたのです。それに荷担した研究者がたくさんいたということです。ナチスが破綻した後、その偉大な仏教学者も大学を解雇されます。当然、その時代ナチスがドイツで絶対的な支持を受けていたから、荷担するかのような論陣をはってしまったのだと思います。自己責任ではあるのでしょうが、その時は、全然関係がないと思っていても、あとからいつ火の粉がかかるかわからない典型例です。その仏教学者は後々、差別主義者として見られることにもなり、少なからず汚名をうけることになります。研究者にとって、時代の波は本当に気をつけなければならないものです。そしてその日が間近ではなく、ついに来てしまったということです。




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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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