チベットの仏教世界展
世間(という名のメディア空間)は、芸能人の方が宗教に出家したとのことで大騒ぎなんだそうです。私は、その方のことを全く知りませんので、どうこう言える立場にありませんが、宗教団体と芸能人の関係はこれまでも何度もありました。ただ、オウム真理教事件の1995年以降、出家という言葉が一体どのようなことを指すのか、私たちはできるだけ正確な知識を入れておくほうが、後々、宗教絡みで苦しい思いをする人を減らすことにつながるのではないかと思います。
出家とは何か?この問いかけをなした素晴らしい本があります。花園大学の佐々木閑先生の、その名も『出家とはなにか』は名作です。私の教科書の一つです。
この本の中で言及される、出家とは「生産活動の放棄」という言葉が非常に重要なのです。生産活動を放棄するということは、一番わかりやすいところでは「食事を作らない」ということです。もちろん、カップラーメンも生産活動です。自分で生産することを全部意図的に排除することを生活ルールとすることです。この限りにおいては、必ずしも宗教団体に属さねばならないということにはなりません。しかし、一般の生産活動をしている人々と、隔絶した世界に生活をしながらも、それでも、食事は、すべて一般の人からもらわなければならないというルールですので、ある部分では、世間(メディア空間ではない)から認められていなければ、すぐに干からびてしまいます。故に、生産活動を放棄して、世間から「この人に生きてもらおう。だからご飯をたべてもらおう」と思ってもらえる人でなければ、本来、出家というのは生きてはいけません。誰かに守られるために出家をするというのは、出家ではありません。誰かを守るためでもなければ、誰かに守られるためでもありません。ただ、自分の道を追求し尽くすことを世間から許された存在、と言うことができると思います。その世間との関係の実態を描いた本として優れているのは、蔵本龍介氏の『世俗を生きる出家者たち』があります。
日本から、東南アジア地域に現在も残る仏教の出家生活に入る人は少なからずいます。以前、ミャンマーで尼になりましたという本を紹介したことがありますが、この著者の方も出家生活の経験者です。メディアはおもしろおかしく描ければそれでいいのかもしれませんが、出家する(した)人も、せめて、「出家とは何か」という問題意識くらいはもって、出家した方が妥当ですし、報じる側も最低限度の知識くらいは入れてから報じていただきたいものです。
いずれ、この国の歴史に絡んだ出家システムについて述べたいと思います。
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