看護系入試で社会人が問われやすいこと
社会人の方が看護学校を受験する場合、社会人入試を受けるのは合理的です。最近の傾向として、社会人入試に数学を外す学校が増えています。しかし、その分、日本語力が見られていると思わされることも増えています。というわけで、私は、看護学校の社会人入試において、社会人の方がまず磨くべきは日本語力だと考えています。もちろん、この傾向は、今に始まったことではありません。私が昔看護系予備校で仕事をしていた時の学院長が、すでに仰っていました。当時はそこまでかなぁと思っていたのですが、さすがに先見の明があったのだなと、今は思っています。
問われている日本語力とは、リーディング(国語の問題)、ライティング(小論文、志望理由書)に加えて、面接でのスピーキングと、実は全部見られているのです。それに対応しておく必要があり、日本語の使い方と人間性を比例させた形で評価していると仰った関係者もいます。
大人になってから日本語力を磨くのは、実は外国語を磨くのと同じくらい難しいことです。特にある程度の年齢になると、身体に染み付いた日本語を変えるというのは容易ではありません。以前の私は、「関西弁を捨ててください」と言ったこともあるくらいです。ただ、関西弁を捨てても、それほど大きな効果は得られませんでした。もう少し合理的な日本語トレーニングが必要です。なんだかんだで有効な方法は、国語の問題を解くことです。ただし、センターレベル程度は必須になります。それより簡単な問題を解いても、あまり効果があるとは思えません。幸いなことにこの国には、センターレベルの問題集は数えきれないくらいありますので、できれば二桁くらいやり切るのが妥当です。まずは量をこなしましょう。
ちなみに現代文の問題の難易度は課題文にあるのではなく、回答すべき問題の中にあります。私自身問題作成をかなりやりましたので、よくわかるのですが、課題文が複雑な時は、複雑な問題を作ると、正解が二つ以上できてしまうリスクが生じてしまうことがあるのです。また、複雑な文章は完成度が高く、「抜き出し」の問題を作ると、「これしかない」という回答に行きつきやすく、難易度が下がってしまいます。実は問題作成者泣かせでもあるのです。私は大江健三郎氏の文章で問題を作ることをギブアップしたことがあります。この方の文章は、新聞のコラムなどから引用されることが多く、ご著書から問題を作るのは至難ではないかと当時思ったものです(私の能力のなさかもしれませんが)。プロットに決まった型(癖ともいう)がなく、どんな文章でもお書きになるのですが、だからと言って、個性は強く、誰が見ても大江氏の文章でもあり、言葉遣いは平易なものが多く、ジャルゴン系の言葉はほとんどありません。それでいて構造はいつもしっかりしています。最初に結論を持ってきて、それを論証するパターン、明らかに批判されるようなことを先に書いて、読み手の感情を喚起し、真意は別の箇所に書くパターンなどなど、変幻自在に文章が存在します。国語教員は学ぶ点が多すぎます。
ただし、今はトレーニングの話ですので、その場合は、難易度はあまり気にしないことです。できた問題とできなかった問題の傾向がつかめるまで量をこなすことが第一です。実は国語の勉強をその観点でする人は少ないのです。「何となく」が一番多いのが厄介な点です。
国語の問題もこなしつつ、小論文も書きましょう。最低でも十本は完成と評価されるものを書きましょう。できれば医療関連分野で書くのが望ましいです。これも実はほとんどの人がやっていません。当塾であれば、私がすべて添削した上で、完成か再チャレンジかを決定します。もちろん再チャレンジの場合は、どの情報を増やすべきかを指示した上で、どういった構造や筋道を立てるべきかをお伝えします。
さらに、志望理由書も書かねばなりません。ただし、こういった文章でかりに流麗な文章を書いていたとしても、面接での言葉遣いとあまりにギャップがある場合はやはり嫌われます。社会人の方が看護学校を受験するための対策の第一とも言えるのは、日本語のトータルコーディネートです。関心のある方、不安のある方は是非お問い合わせください。
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