言論の自由、発言の自由、解釈の自由
京都コムニタスは土日祝日は
関係なく授業を行いますので、
あまりゴールデンウィークという実感は
ありませんが、各新聞が、憲法、憲法改正と
競うように書いていましたので、
憲法記念日なのかと、実感しました。
ちょっと政治的発言になります。
余計なこととは知りつつも、
慎重に述べてみたいと思います。
私は、戦争も知らなければ、その爪痕も
知らない世代です。
大学生になるまで、私が生きてきた時代について、
知っていたのは90年代のバブル経済で、
扇子を持って高台で踊っている人の映像がこれでもか
というくらい流れていたことくらいでしょうか。
ふと気がつけば、バブルもはじけ、
(泡だから当たり前なのですが)
半永久的な不景気、就職難などなど、夢も希望も
野望も何もない時代の申し子のような世代です。
ゆえに、憲法を正直よく知りません。
日本が戦争に負けて、主権を失い、明治時代の憲法が
命を失い、新たな憲法が発布されたという程度の
知識しか習っていません。あとは私はが中学の時、
「憲法は前の世代のプレゼントなのだから絶対に改正してはならない」
とも習いました。
(でも憲法第九十六条には、今話題の改正に関する条文があるのですがね)
条文は何度も読みました。昔は必修の授業でも使ったこともあります。
(中身ではなく日本語の使い方で)
でも文言に関する疑問ばかりが頭に浮かび、前の世代の崇高な
精神を読み取ることはできませんでした。それほどすばらしい
プレゼントには思えません。
しかし、「改正」となると、やはり簡単にすべきことでは
ないと思います。
私は人間が作ったものを、宗教聖典のごとく、永久に変えないのは
明らかに間違っていると思います。どんな文書であっても
不備があればさっさと変える方が正しいはずです。
憲法とて例外ではないとは思います。
私は仏教の戒律という分野を勉強しています。
まさに仏教の法律集です。憲法的役割を保持しています。
これはブッダ以外に改正などできません。
ではブッダなきあとどうしたのかというと、そこは
本音とたてまえの世界で、おそらく、こそっと書き換えた
と思しき点は結構あります。しかし、それでも相当慎重に
理論武装しつつ、ブッダの考えも曲げることなく、
それまでの戒律の条文を損ねることなく、
かつ都合の悪いところはへりくつも差し込みつつ、
慎重に慎重にこそっと書き換えています。
憲法も、変えるにしても変え方が大切なのであって、
国民すべてに関わることであるならば、憲法第九十六条が
言う国民の過半数は、かなり厳密に近い形で守る必要が
あると思います。本当に今の国会議員に託して良いのか
文化的知識、哲学的知識、教養のない国会議員が憲法改正
などという、我々の生活に直接関わる問題を託して良いのかについて、
私たち一人ひとりが声をあげないならば、あるいは関心がないなら
改正などすべきではないと思います。憲法問題は、国家とは
何かという哲学的課題と背中合わせであることは間違いありません。
自分を育んでくれた国土や地域に尽くす思いはあっても
政治家や公務員=国家と考え、それに尽くしたいと考える国民は
どれほどいるのでしょう。上っ面の「国民の皆様」という
言葉に欺されるほど、今の日本国民は愚かではないはずです。
メディアを使って、横暴な隣国がさらなる暴発をすると
不安を煽り、政治家にとって都合の良い部分を改正しようと
するならば、今のままの方がよほどマシでしょう。
私個人の意見としては、かのガウディが手がけた
サグラダ・ファミリア教会のごとく、半永久的に未完のままで
常に国民的議論と注目を浴び、その品質を保ちつつ、
哲学を引き継ぎつつ、少しずつ変容させながら、完成を
目指すのが良いのではないかと思っています。
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