聞いてないヨー!―散々無茶振りをされてきてわかった自分の性格―Ⅰ
現役での大学受験にすべて失敗した私。
まあこれは仕方がない、と思った。早稲田なら早稲田なりの対策を立てなければ受からないだろう、ということで、一浪目は東京の早稲田ゼミナールという予備校に通った。
ところが、ここでも受かるための集中的な勉強を怠った。
とにかく私は、どういうわけかずっと英語が苦手だった。
ただ、国語だけは特に勉強しなくても異常にできていた(全国模試、校内試験などで度々最高点を獲得した)ので、完全にダメという自覚も妙に薄かったのである。
こんな風にできる科目とできない科目が、極端に偏っていたため一浪目の受験も全滅に終わった。
失意の中、東京を離れ鹿児島に帰った。二浪目に入り、完全に負けグセがついていて、なんだか受験というものにどう向き合えばいいのかわからなくなっていた。
しばらく自宅で勉強していたが、夏過ぎ頃から鹿児島市内の予備校に通った。それでも、大した結果は出せないでいた。
しかもこの頃、完全に麻雀にはまってしまった。勉強から逃げるように雀荘に通う日々。この年も全て受験には失敗。
また東京に戻り、いよいよ三浪目である。予備校に通いながら、やはりなんだかチンタラしていたような気がする。この頃の記憶そのものがはっきりしない。
しかしここで、これまでとはまるで異なる現象が起きた。
なんと、彼女ができたのである。
東京23区内に家屋敷のあるお嬢ちゃんだったのだが、私のことをものすごく好きになってくれた。最初は何かとカッコつけていたものの、やがて3年も浪人していることがバレた。
ところがそれでも彼女は応援してくれる。
さすがに、受験までの後半、半年くらいはそれまでとはまるで違い、狂ったように勉強した。
その間、彼女とも会わなかった。
その年の受験はまず滑り止めの成城大学に受かったのだが、あとの本命の大学合否がわかるまでに学費を納めなければならなかった。
結果次第によっては捨て金になりかねなかったのだが、親に頼んで前期分の学費を収めてもらった。
その後、中央大学、本命の早稲田大学を受験した。
結果としては、中央大学の商学部には受かったのだが、早稲田を始めほかの大学は全部ダメだった。
成城大学には学費を納めてあったが、バリューとしてはやはり中央大学の方がいいんじゃないか、と判断した。
結局、成城大学の学費は捨てて、中央大学商学部会計学科に入学することになったのである。
3年も浪人して、結果として受かったのは中央大学であった。
ざっと整理してみよう。
小学校まではかなりの優等生だった。その勢いでラサール学園に合格した。そのまま順調にエリート街道まっしぐらかと思っていたら、まさかの成績不良で高校には進めず転校を余儀なくされた。
転校先に選んだ日向学院高校に通い、最初はさすがのラサール出身、トップの成績を収めたものの、やがて普通レベルへ。それでも大学受験で、ラサールの同級生たちと肩を並べたいと目論んでいたが、ことごとく失敗。
きちんと大学受験用の勉強に取り組めばよかったのにフラフラとしていたお陰で3年も浪人。やっと入った大学が中央大学だったというわけだ。
ラサールに入ったにもかかわらず、中央大学の商学部、しかも何年も浪人してっていう人間も少ないだろうな、と思う。当時、中央大学法学部は司法試験合格者数トップ校だったので、かなりのバリューはあったのだが、他の学部はそうでもなかった。
ただ、その法学部ほどではなかったものの、私の入った商学部会計学科というのは、当時、公認会計士試験合格者数を慶応大学と競っており、そういう意味ではそれなりにバリューはあった。尤も、私はその公認会計士を狙っていたわけではなかったから関係ない話ではあるが。
とにかく、学校の勉強、とりわけ受験勉強と言うことでいけばまるでダメな人間だったことになる。子供の頃のイメージだと、多少は頭の良い方だったはずだから、いくらなんでもこんなにも自分がダメな野郎だとは思っていなかった。
或る意味、このトラウマとも言うべき当時のとにかくダメだった自分の姿を払拭するのに何十年もかかった。今でも、あまり他人(ひと)には語りたくない私の黒歴史だ。
しかし、その大学を卒業してもう50年も経った。挫折を味わった中学時代から数えれば60年以上が過ぎ去っている。
有名進学校をドロップアウトしようが、何年も浪人した過去があろうが今では全く関係ない年齢になった。私のダメ歴史も、親に扶養されていた学生時代までの話である。
その後社会人になり、現在のポジションを得て、それなりに社会的責任などが問われるようになってからの人生の方がはるかに長い。いい加減、若い頃の恥などとっとと忘れて、今をちゃんと生きていれば、それでいいじゃないか、とも思う。まあ、普段はそうしているつもりだ。
自分の人生、きちんと精査してみれば、もっと恥かしいことだっていろいろやらかしてきたかも知れない。いや、間違いなくやっている。
ただそれにしても、この人生の割と初期において失敗したという出来事については、どうにも自分の中でまだ解決できていないのだ。いまだに、なんだか引きずっているところがある。
ええ、ええ、はい、はい、どうせ私はそんなダメ人間でしたよ、と吐き出してしまわないことにはなんか解決がつかないのだ。
だから何だというのだ、という話であることは分かっている。
それを承知の上で、こうして一度吐き出させてもらいたい、と思い今回書いてみたのである。たぶん、ご迷惑だったでしょうが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。
ま、今では明るく楽しく生きていますが・・
おしまい


