涼しい顔して「OK」と言えるか―「もったい」をつけないのが男の力量―Ⅱ(おしまい)
ラサールでの成績は惨憺たるものだった。にもかかわらず私は、相変わらず勉強しなかったのである。
勉強なんて机にしがみついてカリカリやらなくてもある程度できるもんだ、という思いが心に沁みついていたのだろう。なんか、サラリといい成績とか取れないもんか、と虫のいいことを考えながら他のことをやっていた。
ではあの頃いったい何をやっていたのか?
今思い返すと、本ばかり読んでいたような気がする。
文学が好きだったので国内外を問わず、いろんな作家の小説を読みふけっていた。
今にしてみれば、あの情熱を少しでも学校の勉強に振り向けていれば良かったのに、と思う。
しかし、そうはしなかった。
当たり前のように、ここからは転落の一途である。
自分はかなり頭の良い方じゃないか、と思っていたので、前述のようにそこまでがむしゃらに勉強しなくても何とかならないものか、という甘い考えを捨てきれずにいた。
こういう諦めの悪さも、あまり賢くなかった証拠と言えるだろう。
同級生の中には、まるで勉強などしないフリをしていて成績はそれなりに確保している奴もいた。
おそらく、こういう奴は本当に地頭のいい人間だったのだろう。
自分もそっちだといいな、と思っていたのだが、残念ながらそこまでのレベルではなかったのである。
かくして、成績はグングン落ち、とうとう最下位を記録するところまで行った。
確か、一回学年でビリを取ったんじゃなかったかな。
ラサールにはそれなりに足切りの基準があって、そこに達しない者は落第か転校を選ばなければならない。
私は中学3年まで粘ったが、このまま高校へは行けないと学校側から宣言された。
それまで、中学の途中でドロップアウトして居なくなった奴は何人かいた。
まさか自分がそっちの側に入るとは思っていなかったのだが、結局、そういうことになってしまったのだった。
落第というのはどうしても受け入れられなかった私は転校を選んだ。
転校と言ってもラサール高校に行かない(行けない)というだけの話で、普通にほかの高校を受験するだけのことである。
地元の公立高校に戻るということと、やはり私立のどこかへ行くというどちらかを選ぶことになった。
地元に戻るというのは、私にとってものすごい屈辱に思えた。
というわけで、ラサールと同じミッション系の私立である、宮崎の日向学院高校を選んだのである。
同じ中高一貫の男子校だったが、大学受験の実績など学力には相当の差があった。
地元に戻るよりはいくらかマシだったとはいえ、私がラサールから落ちこぼれてきたという噂は既に広まっており、その点にいくらかの抵抗を感じた。
それでも知らんぷりをして学校には通っていた。
入学して最初に驚いたのは、私が入学したその年の卒業生に、何年振りかの東大合格者が一人いたので、
「彼に受験の際に頑張ったことなど、お話をしてもらいましょう。」
というイベントがあったことである。
私たちは講堂に集められて「彼」の話を聞くことになった。
その頃、ラサールでは毎年の東大合格者は50人は軽く超えていて、しかも理工学部や医学部、法学部など東大の中でも難関学部への合格者が比較的多かったのである。
日向学院の先輩東大合格者は文学部だった。彼がどんな話をしたのか全く記憶にない。
『なんだ、東大と言っても文学部の合格者に講演依頼かよ。』
と、私は腹の中で思ったのを覚えている。
学業について行けなくてドロップアウトしたチンピラ学生だったくせに生意気なことを頭の中では考えていたのだ。
さて、いわば都落ちした一高校生の3年間は暗いものであった。骨の髄までコンプレックスという奴を叩きこまれたのだから仕方がない。
と、言いたいところだが、そうでもなかった(らしい)。
遠い昔を振り返ってみて、全体的にはそんな高校生活だと思っていたのだが、その後、同窓会などで話をしたら、同級生連中が「そうでもなかったぜ。」と言うのだ。
文化祭とか体育祭とかイベントごとのときは、なんだかんだと動き回っていた記憶は確かにある。振り返ってみると『まあそうだったかもなあ・・』と思い当たらないでもない。
ただ私には、一つの目的があった。
それはラサールを離れたというものの、大学受験でなんとか挽回できないものか、というリベンジ計画である。
東大、というのはあまり頭になかった。
無理、というより、そんな王道ではなく少しズラしたところで、なおかつ納得のいくレベルでどこがいいだろうか、と考えていたのである。
で、当初、京大を視野に入れていた。京都大学であれば当時東大よりもノーベル賞受賞者を多く輩出していたしバリューとしても申し分ない。
ボンヤリとそんなことを考えていたのだが、結局、先述のように他のことはともかく勉強には身が入らなかったのである。
相変わらず、読書だけは続けていたが、日向学院という普通レベルの高校に通っても成績はあまりパッとしなかったのである。
途中で京大は諦めて私立文系に的を絞った。
そうなると、せめて早稲田か慶応くらいには入らなくては恰好がつかないよな、と思っていた。科目の関係で慶応は受験することを諦めた。
「早稲田だ。どうしても早稲田くらいには合格しなくては。」
というのが一つの目標になった。しかし、団塊の世代のすぐ後の私たち世代の人口はまだかなり多かった。
上の世代からの浪人連中を含めると、当時の受験者数は膨大で、早稲田などの人気校の受験倍率は相当なものになっていた。
当然現役のときは全部落ちた。
ちゃんと勉強してればなあ・・・
つづく


