マナーうんちく話521≪お心肥し≫
●瑞穂の国の米騒動
世界屈指の長い歴史を有する日本はかつて「瑞穂の国」と呼ばれ、瑞々しい稲穂が豊かに実る国であり、日本という国が誕生して以来、米は日本人のライフワークそのものでした。
日本の文化や歴史や宗教なども米に象徴されるわけですが、最近国際化や食生活の変化などにおいて、米の消費量が大きく減少してきたことも事実です。
このような現象に伴い、日本の農政もいろいろ変化してきたような気がしますが、今になって米がスーパーなどで極端に品薄になり、価格が異常に高騰し、いざという時のために蓄えられていた「備蓄米」が市場に安価で出回っているのはご承知の通りです。
私は田んぼが多く存在する山間地域に住んでいますが、苦労して作っても採算が取れない話はよく耳にします。
肥料や農薬を始め農機具等が高騰しているのに、米の値段は据え置かれたままでは当然だと、私のような素人でもわかります。
だから兼業農家が多いのではないでしょうか。
さらに作り手の減少、高齢化による耕作放棄地の増大、異常天気などにより稲作農業が昔に比べ疲弊しているように思います。
米作りが衰退すれば、食生活のみならず、2000年以上の歴史を有する、米によって創られた様々な文化の継承が難しくなるのではと危惧しています。
今の米騒動をきっかけに、米価のみならず、米にまつわる多くの文化についても再度関心を呼び起こしたいものです。
●日本の米には神様が宿っている「命の根」
日本は縄文の時代より稲作を中心として栄えてきましたが、田んぼの神様、つまり「米の神様」が存在する国です。
ちなみに正月に各家に里帰りされる「年神様」は先祖霊や穀霊の集合霊です。
そして「稲」の語源は「息の根」であり、「生きる根」であり、稲には「命の根」という意味が込められています。
つまり日本人にとって「稲=命の根」というわけです。
日本の食文化は戦後急激に豊かになりましたが、米は本来神様から授かった非常に神聖な食べ物であり、長い間日本人主食であったわけですが、その米が日本の食卓から影を薄め、さらにスーパーの棚から消えていくということは由々しきことであり、何らかの対策は必要でしょう。
一筋縄ではいかない大変難題だと思いますが、このような時こそ知恵を出し合い、構造的な農業の在り方を真剣に考えなければいけませんね。
できれば「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の、近江商人の「三方良し」の精神を参考にしていただきたいものです。
ところで今「宝」といえば、金銀財宝を思い浮かべる人も多いと思いますが「宝」=「田から」という説もあります。
田から生産される米は「宝」を生むわけですね。
日本の宝は、一部の人の物ではなく、日本人全ての人が平等に恩恵を受けなければいけません。
●和食の作法が急激に低下している
米騒動に加え、さらに気になる点があります。
米離れに関連があるのでしょうか、「和食離れ」に「和食の作法」の低下が非常に気になります。
ファストフードで育った若い世代に多いような気がしますが、最近では大人も子どもも同じ傾向にある気がします。
物質的に豊かになったことや、国際化の影響を受け、食べ物が氾濫している環境で、和食離れがある程度進むことは仕方ないとしても、箸が上手に持てない人が増えた気がしてなりません。
器の扱い方しかりです。
しかも自覚さえない。
このことは大変由々しき事態でしょう。
日常生活でなじみの浅い「和の礼儀作法」はいざ知らず、「和食の作法」は一日3度、年に1000回の最も身近なものであり、それがまともでないということ自体、自国の文化の衰退と捉えてもいいのではないでしょうか。
「文化を知るには作法から」ともいわれます。
和食の作法は、社交性や危機管理的要素が強い西洋のテーブルマナーの考えとは異なり、食材に対する感謝の気持ちや他者に配慮するという心が存在します。
さらに八百万の神が存在する日本独特の「宗教観」があります。
●日本の箸にも神様が宿っている
米には神が宿るといいましたが、箸にも同じことが言えます。
箸食文化圏の中でも、日本の箸だけ横に並べるのはその表れです。
また人と神がともに食事をするという、世界でもユニークな「神人共食文化」も存在します。
祝い箸(柳箸)が両方尖っているのはそのせいです。
以前にも触れましたが、和食の作法の大きなポイントは箸使いにあり、「箸先5分、長くて1寸」という言葉があります。
「箸使いを見れば育ちが解る」ともいわれますが、自国の食生活に必要不可欠な箸の文化にも関心を持ちたいものですね。
●テーブルマナーの存在意義
古今東西「生きることは食べること」であり、食べることや飲むことは日常繰り返されるとても大切な行為です。
その食べるという行為に心の美しさを加味したものが「テーブルマナー」であり、日本では有職ができる平安時代以降に確立されています。
そしてテーブルマナーは国々の食生活、気候風土、歴史、国民性、宗教等により大きく異なります。
ただその背景には「なぜそうするのか」という合理的な理由が存在します。
そしてどんな国のテーブルマナーであれ、料理を作ってくれた人や食材への敬意、同席する人との楽しいコミュニケーションの基、美味しく、楽しく食べることが基本です。
ここにテーブルマナーの存在意義があるわけで、ここがおかしくなれば、生き方にも多大な影響が出るというのが私の持論です。
●米の品種と神道が大きな影響を及ぼしている日本の箸
四季が豊かで、周囲を海で囲まれた「瑞穂の国」日本では、米を主食にして、神道や仏教を信じる国であるがゆえに、「箸食」という文化が生まれました。
ちなみに世界には「ジャポニカ米」「インディカ米」「ジャパニカ米」の3種の米がありますが、日本で作られているコメは殆どが「ジャポニカ米」です。
これを「炊く」という調理で食べることにより、食味が良く、粘りとツヤがでて、食べれば食べるほど味が出るわけです。
これに神道の「食材の命をいただく」という概念が加味され、日本の箸の作法が定められたのでしょう。
日本の文化の根源を成す米を知り、和食のマナーに精通し、ゆとりがあれば外国の文化にも触れるというのが理想的だと思います。
戦前のように、米や自国の作法を知り、母国への愛着を産み、国や郷土を愛する心を育んでくれるような教育がおこなわれればいいと思うのですが・・・。
国際化に備え、日本の価値観や様々な文化が誕生した背景を理解し、それをきちんと言葉で話せるようになればいいということです。