まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
四季が明確に分かれ、その移り変わりが大変美しい日本では、昔から花を愛でることにより、季節を楽しむ風習があります。
正月には「春告げ草」と呼ばれる縁起のいい「梅」で初春を楽しみます。
奈良時代に中国から伝わった梅は、当時の貴族に愛され、自分の屋敷に梅を植え、それを愛でるのがステータスだったとか・・・。
このように梅は日本に入るやいなや、貴族階級の間で文化や教養の象徴になり、万葉集にも萩に次いで多く詠まれています。
したがって当時は「花見」といえば梅のことだったのが容易に想像できます。
ところで地球上には200近い国が存在しますが、それぞれの国には、その国を象徴する「国花」があります。
オランダのチューリップ、アメリカのバラ、メキシコのダリアは有名ですが、日本の国花は「菊」と「桜」です。
菊は皇室やパスポートの紋章になっていますが、五節句の中で一番格式が高いとされる「重陽の節句」は「菊の節句」ともよばれます。
そして「桜」ですが、実は桜には、梅とは一味違う、国花に相応しい理由が多く存在します。
●桜は神様が鎮座する木
桜の語源がそれを物語っています。
桜の語源は諸説ありますが、中でも、さくらの「さ」は稲の精霊、つまり田んぼの神様で、「くら」は座という意味で、神様が鎮座される場所という説がユニークです。
桜の咲く頃になると、村人たちはご馳走や酒を持ち寄り、小高い山や丘の桜の木の下で、山の神様と一緒に宴を開きます。
私は「和食のテーブルマナー講座」でよく取り上げる話題ですが、いわゆる「神人共食文化」です。
神様と一緒に食事をすることにより、神様とより親密になれ、多くの願いをかなえて頂こうという発想でしょう。
そして山の神様に村まで下りてきていただき、今度は「田の神様」になっていただきます。
田の神になられた神様に、これから始まる田植えの無事と豊作を祈願します。
今でも田植えの時期には早乙女が登場しますが、早乙女は田植えをするとともに、田んぼの神様のおもてなし係も務めます。
稲作を中心とした農耕文化で栄えた日本ならではの物語で、桜が日本の象徴とされ、国花になっている理由が頷けます。
●桜は古くから、農業の目安になっていました。
桜の花が咲き始めると、農作業が始まり、桜が満開になると豊作を祈願するわけです。
暦がなかったころ、桜の開花を目安に季節の移り変わりを把握し、桜の咲き方や散り方などで豊作や不作を占ったともいわれています。
今では考えられないくらい大切な農耕行事であり、神事でもあったと考えます。
●花見文化
江戸時代になると、桜を愛でながら、ご馳走を食べ、酒を飲んで楽しむ花見文化が栄えました。
特に出かけることが少なかった女性は、桜が咲き、陽気が良くなると、弁当を作って春の野山に出かけ、楽しんだようです。
煮しめ、卵焼き、かまぼこなどなど、腕によりをかけたご馳走を用意したのでしょう。
食べ物や酒を売る屋台も出ていたと思います。
山の神、野の神様と一緒になって、花の下で鋭気を養い、冬に衰えた体と心を補充したのでしょうね。
自然と一体となって飲食を楽しむ素晴らしい文化ですね。
また後日詳しく触れますが、花見のシーズンには「桜餅」がバカ売れしたとか。
●桜は動詞の「咲く」に、「ら」という接頭語が付いたという説もあります。
昔からいかに日本人が桜に魅了されてきたのかが伺えます。
だから梅が全盛の時代でも桜の愛好家は多くいたのでしょう。
「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」という在原業平(825年―880年)の歌は有名です。
※「マナーうんちく話1640&1811」を参考にして下さい。
咲くのを待つだけでなく、散り行く桜を惜しむ歌も有名です。
ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ(紀友則)
●命の儚さや潔さが感じられる桜
武士が台頭してくると、パッと咲いて、パッと散る桜はとても価値が置かれ「花は桜木、人は武士」ともいわれました。
不必要にこの世に執着することなく、義のためには命まで捧げる生き様が奨励されたようですが、赤穂浪士は日本人に大変人気が良かったのを思い出します。
文武両面で日本人を象徴しているような気がしますが、如何でしょうか。
ただ現代では潔い振る舞いを見ることはめっき少なくなりましたね。
「せこい」振る舞いは目に余るものがありますが・・・。
梅や桜は、時代とともに受け止められ方が変わりましたが、いずれもその折その折の日本人の心のありようを映し出す花だったのでしょう。
今でも日本は、梅の高貴な香りが漂ってくる3月に卒業式を終え、新年度は4月、桜の時期です。
桜が咲くようになれば、米作りがスタートし、学校では入学式を迎えます。
人生の節目を象徴しているわけですね。
さらに桜は一本だとあまり目立たないですが、多数になると大変華やかになり、存在感が一段と高まります。
個より組織を大事にする「和する心」そのもののような気がします。
絆を大切に思うということですね。
日本人が梅や桜を愛でる心は1000年以上前と全く変わっていませんが、今でも控えめながら凛とした美しさの梅と、華やかな中にも潔さを感じられる桜は日本人の心のよりどころです。
最後に「梅は咲いたか桜はまだかいな・・・」という小唄があります。
いつまでも美しいものの象徴であり、日本人の国民性や精神性を象徴する花であり続けて欲しいものです。