マナーうんちく話504≪あなたなら、どう答える?≫
「暦の上では春ですが、まだ風が冷たく・・・」という常套句が聞こえてくる季節になりました。
立春が過ぎたので、我が家の畑の野菜たちも間もなく薹が立ち始めます。
その前にヒヨドリにやられなければいいのですが・・・。
ところで「東風吹かば にほひよこせよ 梅の花・・・」とうたわれているように、昔の人は、春は東風が運んでくると考えていたようです。
現代人は、立春を過ぎて最初に吹く南寄りの強い風を「春一番」と名付けましたが、いずれにせよ、この頃から少しずつではありますが、日差しも長くなり、春の気配がはっきり感じられるようになります。
私が住んでいる地域では、あと3週間くらいで「春告げ鳥」と呼ばれる鶯の初音を聞くことができます。
そしてゴールデンウイーク頃には、鶯も人に急接近してくるようになり、鶯の鳴き声で目を覚ますこともあります。
田舎暮らしの特権でしょうか、とても豊かな気分になれます。
マナーうんちく話で何度も触れましたが、日本では「八百万の神様」といわれるように、あらゆるものに神が宿るといわれています。
「八百」は「やお」で数が非常に多いという意味です。
「万」は「よろず」で様々という意味になります。
したがって八百万の神とは、800万の数の神ではなく、自然界全てにいろいろな神様が存在するという意味です。
海にも川にも森にも、そして台所やトイレにも・・・。
それと同じように、日本では言葉にも「言霊」が宿るといわれています。
「良い言葉はよい未来に通じる」という日本古来の考えですが、年中行事のしきたりや作法の中にも、いたるところで見受けられます。
1月8日に鏡餅を下げて鏡開きをする際に、鏡餅を切るとか割るという言葉ではなく、末広がりの開くと表現します。
また節分の恵方巻を食す際に、切らずにそのまま丸かじりするのも、福をもたらしてくれる神様との縁を切らないためです。
さらに「自分を肯定する前向きな言葉」は、自分の能力や行動力を高めてくれるともいわれています
否定的な言葉や悪口ばかり発していると、発する方も発せられる方も、ハッピーになれないことを昔の人は知っていたのでしょう。
ところで立春には何か新しいものを身に付けたり、新しいことを始めると良いといわれていますが、何か目標を定められたらどうでしょう。
旧暦の正月は立春ですから、まさに「新年の計は立春にあり」です。
マナーうんちく話2161では「聴き上手」をお勧めしましたが、今回は美しい言葉遣いの勧めです。
美辞麗句や敬語を巧みに使いこなすということより、前向きの言葉や感謝の言葉や誉め言葉です。
●感謝の言葉
感謝の言葉は聞く人に知性や教養を感じさせてくれる素晴らしい言葉だと思います。もちろんTPOや相手との関係性により言葉選びは異なってきますが、いずれにせよ、相手の目を見て、明るく、はっきりと発して下さい。
笑顔が備わればなおいいですね。
そして出し惜しみしないことです。
また相手に好感を与えるので何度言ってもいいし、少々大げさくらいでもいいと思います。
●称賛の言葉
人をほめる言葉は何よりも美しい言葉だと思っています。
良好な人間関係が築けます。
「良好な人間関係は幸福度に直結する」ということは、すでに多くの世界的研究から明らかですが、たやすいことではありません。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、先ずは自分をほめて下さい。
自分のいいところ探しです。
自分が前向きになれば、人をほめるゆとりが生まれます。
ビジネスシーンで顧客満足を得ようとするなら、まず自己満足から始めるのと同じ理屈です。
次に今日の天気を前向きに表現する癖をつけるといいでしょう。
例えば「嫌な雨ですね」というより「いい雨が降りました。白菜も大根も喜んでいます」というように・・・。
そして積極的に相手のいい点を見つける努力をして、それを言葉にして発信すればいい関係が築けます。
さりげなく褒めることがポイントだと思いますが、褒める時には嘘はつかないでください。
慣れてくれば自分の意見を交えたり、質問しながら褒めることもできるようになってくるでしょう。
マナーは良好な人間関係を築く潤滑油ですが、美しい言葉は優しい心を育て、ハッピーな人生を送る潤滑油になってくれます。
年配の方は「ローマの休日」で一躍有名になったオードリー・ヘプバーンを思い浮かべる人も多いと思います。
まだまだ寒い日が続きますが、有り難う、嬉しい、すばらしい、素敵、美味しい、お陰様で、さすが、すばらしい、すてき、一緒にいると楽しいなどなど・・・・・。
立春に発する美しい言葉で、幸せの種を一杯撒き、幸せな花を一杯咲かせてみるのもいいですね。
「八百万の神様」という神道の概念は、もともと日本人は海や山や川や台所など、全てのものに感謝の気持ちを持ち続けたのでしょう。
それが海にも川にもトイレなどにも「神様が宿る」と、いうことになったのではないでしょうか。