マナーうんちく話22≪「客」になった時のマナー≫
暦で一番基本になる「二至二分四立」という言葉があります。
8つの節目の日になるわけですが、最初に「夏至」と「冬至」、次に「春分」と「冬分」、その後「立春」「立夏」「立秋」「立冬」となります。
最近は日が沈んでもかなり明るさが残りますが6月21日は夏至で、一年で最も昼が長く夜が短い日です。
秋の夜長に対し夏の夜は「短夜」と表現しますが、清少納言は枕草子で、春は明け方、秋は夕暮れ、冬は早朝、そして夏は夜がいいと言っています。
1000年くらい前の夜は短くても、月明かりに照らされた光景や、ホタルが飛び交う風情がよかったのでしょうね・・・。
そして今の日本の夏の夜は、短くてもイベントが多く楽しみの多い季節です。
また今年の夏は、賛否両論ありますが、オリンピックが開催されるので楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。
寝不足にご注意ください。
ところでコロナ禍の梅雨をどのようにお過ごしでしょうか?
そしてコロナ禍での五輪開催をどのように思いますか?
私はいつのまにか五輪中止の選択肢が報じられなくなって残念な気がしています。
ちなみに五輪開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)のプレゼンテーションで、日本の招致団が「お・も・て・な・し」という日本の伝統的精神を発信したことは良く知られていますね。
和を尊び、相手を思いやる「もてなしの仕方・受け方」等の講座を各地で展開していた私にとって、東京五輪が決定した時はワクワクした記憶があります。
和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたこともあり、世界中から日本の文化や伝統が注目されている中、オリンピック・パラリンピックを通じ、日本人が先祖から受け継いできた「おもてなしの心」が素敵に発揮できればと願ったものです。
恐らく日本の多くの人の思いは同じで、期待大だったと思います。
しかし「月に叢雲(群雲) 花に風」という諺があります。
名月を楽しみにしていたら群れになった雲がかかり、満開の花をみようとしたら風がふいて花びらが散ってしまった、つまり「邪魔がはいってうまくいかない」という意味ですが、今回は新型コロナウイルスに邪魔されましたね。
世界中が未曽有の被害を受け、今なおおさまる兆候はないようです。
頼みの綱であるワクチン接種も、世界中にいきわたるのはまだまだ時間がかかりそうです。
そんな中東京五輪は、多くの反対を押し切って強行されようとしています。
最新の調査では開催に賛成派と反対派が拮抗しているようですが、開催となれば世界中から多くの人が日本にやってきます。
どのようにおもてなしするかが問われますが、このような状況下で、日本ならではの「おもてなし」をするのはとても難しいように思います。
今はコロナ対策とワクチン接種に全力を注ぐときで、大イベントとの両立は無理と考えるからです。
「中途半端のろくでなし」という言葉がありますが、おもてなしはいい加減な気持ちではできないでしょう。
加えてあまりにも商業化された五輪に魅力を感じなくなりました。
それに開催の準備が始まった時から、とにかく理不尽なことが多すぎます。
挙げればきりがないくらいでしょう・・・。
私は常日頃から「礼節の国」日本には「お金より大切なものがある」と考える文化が存在すると思っています。
日本が世界に誇る「おもてなしの文化」しかりです。
サービスを提供し、その見返りとしてチップを求めるのではなく、相手のことを思い誠心誠意、裏表なくもてなすのが日本のもてなしです。
「日常茶飯事」という言葉がありますが、日本ではどこでも、いつでも、客人を迎える時にはお茶でもてなします。
茶の湯を大成させた千利休の教えに「マナーうんちく話」でも触れた「利休七則」があります。
600年以上前に利休が説いた「もてなしの心」ですが、梅雨時ですので七則の中から《降らずとも雨の用意》という教えを引用させていただきます。
突然の雨に往生した経験をお持ちの方も多いと思います。
「先を見通して用意できることをしておきなさい」という教えですが、「備えあれば患いなし」とは少しニアンスが異なります。
自分自身のために万全な体制を敷いておくのではなく、あくまで何か事が起こっても相手(お客様)が困らないように備えるということです。
あくまで相手に対する思いやりということです。
お客様をお迎えする以上、たとえ雨が降っていなくとも、万が一のために傘を用意しておくという心配りは、とても素晴らしいことですが、もてなす側に心のゆとりがあってこそできることです。
まさに「衣食足りて礼節を知る」です。
御承知の通り、今の日本の現状はひどいもので、ゆとりはありません。
日本ばかりでなくどこの国も同じでしょう。
コロナで亡くなった人、後遺症で苦しんでいる人、不眠不休で治療にあたっている人、仕事が減少したり失って困っている人も多く存在します。
地域の伝統的な祭りも学校の運動会もできません。
今後の感染拡大も心配です。
加えて五輪開催賛成派と反対派で分断されています。
そんな状況下での「もてなし」は大変難しいということです。
ただ五輪を主導する側は、要人の接遇関係経費を40億円以上計上しているようですが、どのようにもてなすのでしょうか。
この経費で、誰が、誰を、どのようにもてなすのか私にはまったくわかりませんが、一般国民は大変窮屈な思いを余儀なくされている現状化で、どのような接遇が行われるのかぜひ知りたいものです。
五輪を主導する人からは、日本の「和」や「絆」や、さらに「ワクチンはおもてなし」という言葉も聞こえてきました。
本来とても心地よい響きであるはずのこれらの言葉が、このような状況下で使用されたことについて、とても違和感を覚えました。
国民が分断された状態で「絆」も「和の心」もないでしょう。
またワクチンは、おもてなしのものでも、五輪のものでもないでしょう。
国民にとって安全な社会を作るためのものではないでしょうか。
報道機関もスポンサーになっているところが多いようですが、聖火リレーやオリンピック・パラリンピックの礼さん記事ばかりでなく、伝えるべきことを包み隠さず報じて欲しいと願っています。
特におもてなしの実態などにも詳しく触れて頂きたいものです。
今後の参考にさせていただきます。
最後になりますが、もてなしをするときには使用してはいけない言葉があります。
江戸しぐさにも登場する「戸締め言葉」です。
「しかし」「だって」「でも」「そんなことをいっても」のように、相手の言葉に反論したり、否定するときの言葉です。
通常は極力使用しないように心がけていますが、今回の五輪開催ばかりは使いたくなる気がしてなりません。