マナーうんちく話73≪話好きになる方法とは?≫
「今年もお庭の紫陽花が美しく色づきましたね。いつもお手入れがよろしいから・・・」
「お褒めにあずかりありがとうございます」
このような言葉のやり取りが、四季が豊かで礼節の国である日本の敬語の世界ではないでしょうか?長年ホテルで接客の仕事に携わった後、マナー講師として講演や研修を多々経験して感じることですが、社会人になって受けるビジネスマナー研修で、簡単に敬語が身につくとはとても思えません。
冒頭の会話には、自然や人に対する思いやりや優しさや花の美しさに魅せられる心が存在するからこそ、敬語に重みが出ると考えます。まずは心ということです。
しかし良い、悪いは別として、文化も礼儀作法も不易流行的側面を有しています。
最近の経済至上主義と環境保護は相反するものがあり、敬語の使い方が変化してきたのは無理もありませんね。
「・・でよろしかったでしょうか」という言い方を耳にする機会が多くなりましたが、この言い方を自然に受け止める人もいれば、違和感を抱く人もいるでしょう。
また最近敬語が乱れてきたと感じる人もいれば、敬語の使い方が変わってきたと考える人も存在します。
日本語の「敬語」は本当に難しいと思います。
ある程度使いこなせるようになるには時間と努力が必要です。
だから子どもには無理でしょう。特に最近の子どもには・・・。
昔は地域においても大人と子どもの程よいつながりがあり、家庭でも祖父母、親、兄弟のきずなが深く、あらゆるシーンでの対話がありました。
心の通い合う食卓もありました。
また野菜や魚を買う時にも、八百屋、魚屋の主との間で会話が生まれました。
さらに遠方の人とのコミュニケーションも葉書、手紙、電話が主流で、大人も子どもも、言葉を選ばなければいけません。
自然に触れる機会も多く、冠婚葬祭や年中行事の付き合いも盛んでした。
今はSNSの時代になり、人とのかかわりが苦手な人が多くなっています。
経済優先の結果、自然への関心は薄れ、それに加え今回の新型コロナで、社会的距離の確保や人との接触が避けられ、仕事も学校もオンラインが主流です。
国際化、グローバル化が急速に進行し、横文字が横行しています。
個人に関しては、自身の感情には神経を使うが、自分本位で、相手の感情には鈍感です。このような人が増えれば、その場や相手の感情の動きにより、言葉を使い分けることは至難の業になります。
私は個人的には、横文字の氾濫がとても気になっています。
もともと日本で敬語が乱れてきた潜在的要因は、明治以降の横文字の横行だといわれています。
明治になって欧米諸国から様々な文化が入ってきますが、中でも「パパ・ママ」という言葉は敬語に非常に大きな影響を与えたといわれています。
家庭で使うべきか、否か、当時の文部省でも白熱した議論が交わされたようです。
その結果、日本にはふさわしくないという理由で推奨されませんでしたが、皮肉にも今になって横文字が不必要に横行している気がします。
今回の新型コロナに関する言葉もそうですが、「クールビズ」や「ウオームビズ」もしかりでしょう。そのせいで、千年以上の歴史を有する四季の国ならではの「衣替え」という美しい日本語が、すっかり影をひそめてしまった気がしてなりません。
ではどうするか?
経済を止めるわけにはいきませんが、極力自然に触れ、豊かな心を取り戻すことは可能です。
感謝と尊敬と思いやりの心と優しさも必要不可欠でしょう。
横文字は必要最小限にして、日本語にもっと愛着を持っていただきたいものです。
小さい時から親が家庭できちんと日本語を教えることも大切ではないでしょうか。
クールビズやウオームビズの言葉には、経済優先は読み取れますが、自然に対する優しさや畏敬の念は感じられません。一方「衣替え」という言葉には、四季の豊かさや自然に対して真摯に向き合う姿勢が伝わってきます。どちらの言葉に敬語がふさわしいか明らかではないでしょうか。
さらに新型コロナ禍で示されている「新しい生活様式」の下では、敬語がますます遠ざかりそうです。
致し方ないことですが、寂しいですね。