マナーうんちく話498≪うかつ謝り≫
最近では殆ど、口にしたり耳にしたりすることが無くなりましたが、「折り目正しい」と言う言葉が有ります。
「丁寧」とか「律儀」とかと言う意味に似ていますが、礼儀作法をしっかりわきまえていることです。
つまり、「折り目正しい人」とは、上司やお客様にあった時の姿勢を正した挨拶、高齢者への敬意、食事をする時には「頂きます」、終われば「ご馳走様」の挨拶、世話になった時の「ありがとうございます」のお礼、そんな当たり前のことが素直に出来る人のことです。
何だ、そんな事か!と思われる人がいるかもしれませんが、実はこれが、なかなかできない人が今増えている気がします。
だからあえて、「就活」とか「婚活」等と言う言葉が生まれてきたのではないでしょうか?
人に会ったら挨拶するのが当たりまえ、世話になったら感謝するのが当たりまえ、迷惑かけたら謝るのが当たりまえの時代は確かに存在していたわけですが、利便性や物質的豊かさの追求が優先された結果、これらの「あたりまえのこと」が、出来ていなければいけない時に、出来なくなったから、いざという時に、基本的な事を改めて勉強しなくてはならないと感じます。
折り目正しい人に会えば、好感が持てます。
しかし、これは一朝一夕にはいきません。
出来る限り小さい時から、親が家庭で、正しく躾けることが大切です。
「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、幼い時にキチンと躾が受けられていなかったら、大きくなって苦労します。
このコラムでも触れましたが、よく「お里が知れる」と言われます。
正しく箸が使える人、履き物が綺麗に揃えられる人を見たら、その人のみならず、その人を育てたお父さんやお母さん、さらには祖父母の人となりまで解ります。
ちなみに「躾」とは、漢字が表すように、「身」を「美しく」することです。
但し、この時の「身」とは、単に外見上の身体だけではありません。
「心」の美しさも含まれています。
「折り目正しい」もしかりです。
身、すなわち「仕草の美しさ」と共に、「心の美しさ」も伴うわけですね。
だから、折り目正しい事を怠ると、時としてとんでもないことになります。
自然に対しては環境破壊になりますし、夫婦間では離婚、あるいは友達の間では縁の切れ目になります。
「金の切れ目は縁の切れ目」と言いますが、これは利害関係にある場合で、損得勘定抜きの親子、夫婦、親友同士の間では、お金より礼儀を欠くことが、縁の切れ目に繋がりますね。
「親しき仲にも礼儀あり」です。
伴侶も、仲の良い友人も、元を正せば赤の他人です。
つい甘えが出て、礼節を欠くことが度重なれば、次第に溝ができ、修復に手間どったり、修復不可能になります。
プライベートでもビジネスでも仲の良い友人は大切です。
何でも愚痴が言える人や、困った時には助けてくれる人が必要です。
こうして考えれば、公私共、「この人は」と思う人にこそ、折り目正しく接したいものですね。