マナーうんちく話502≪会話の中に季節の話題を積極的に!≫
『毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは』
愛媛県松山市の方言は良く解りませんが、岡山弁で言えば、お母さんに「彼岸だと言うのに寒いなー」というと、お母さんが「そりゃー毎年の事じゃが」と答えた。その様子を素直に詠んだ正岡子規の俳句ですが、今年は彼岸前から桜が開花し、上記の句が影を潜めた感じですね。
さて、彼岸に入り、3月20日(水)の春分の日にはお墓参りを予定されている方も多いと思います。
夫婦・家族間の絆の希薄化が問題になる中、お墓に参られることは、とても意義深いことだと思います。
家庭の年中行事として、家族揃って参られる事をお勧めします。
お墓参りは、彼岸中でしたらいつでもいいと思いますが、お寺に着いたら先ず御本尊様にお参りし、お墓の掃除をして、線香に束のまま火をつけお供えし、シキミや花を飾ります。この時、ボタ餅や故人が好きだった物をお供えしたらいいでしょう。
次に故人と縁の深い順に、墓前で両手を合わせて拝礼しますが、その前に墓石に柄杓で水を掛けます。
ちなみに、水を掛けるのは、仏様に喉を潤して頂くためだと言われております。
お寺やお墓が遠いので、お参り出来ない場合は、家庭で供養されても良いでしょう。また、より丁寧にする時には、同じ宗派の僧侶を招いて、お経をあげて頂き、「お布施」を渡されたらいいと思います。
ところで、お彼岸には付き物の「ボタ餅」と「オハギ」ですが、どちらも同じものなのに、なぜ呼び方が違うのでしょうか?
いずれも原料は、米と小豆と砂糖で、餅のように搗かずに捏ねる程度です。
今でこそ日本は「飽食の国」ですが、江戸時代は、米を生産するプロの百姓でさえ主食は麦・粟・稗等で、米や小豆や砂糖は一般庶民には大変貴重品です。
だから、年に2回の彼岸には、これらの贅沢な食材を使用した餅をご先祖様にお供えしたわけです。
さらに、小豆の赤色には魔よけの意味もあり、より重宝されたようです。
そんな貴重な食べ物ですから、江戸の人々は、四季に応じて呼び方を変えたのですね。実に奥深い話しです。
春の彼岸の頃には、百花の王と呼ばれる牡丹の花が咲くので、その名を取って「ボタモチ」と名付けました。
秋の彼岸の頃には、万葉集で一番多く登場する萩の花が咲くので、その萩を丁寧に言って「オハギ」と名前をつけました。
さらに、夏には「夜船」と名前をつけています。
ペッタン、ペッタン餅のように搗かないから、隣の人はいつ搗いたのかわからないので「搗き知らず」になり、これが「着きしらず」になり、最終的には夜舟になるわけです。夜舟は音も立てないで到着するので、「着き知らず」ということです。
加えて、冬には「北窓」と呼ばれます。
これは、「搗き知らず」が「月知らず」になったわけです。
北側の窓からは月が見えないから、「月知らず」になるわけですね。
また、「こしあん」と「つぶあん」の違いは、春と秋には小豆の状態が違うからです。小豆の収穫期は秋ですから、お萩はとれ立ての小豆が使用できますが、春のボタモチは冬を越した皮の硬いあずきを使用するようになります。
ただし、今の調理技術では関係ありません。
現在、「江戸しぐさ」をシリーズで掲載していますが、江戸の人は、食べ物にも季節感を持たせ、このような洒落心を抱いたわけですね。
政府はTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加を正式に決めました。
これを日本農業の存亡の危機と捉え反対の声を高らかに上げるか、世界貿易の新しいルールを作る新たな門出と捉え歓迎するかは、それぞれ意見の分かれるところです。
何もかも多種多様化した今、全ての人を満足させる答えは有りません。
しかし、農業は食に直結する部門であり、経済だけでは計れない多様性を含んでいます。加えて、日本の食文化は本当に素晴らしいものが多々有ります。
TPP交渉参加により、日本の農業が今後どのように展開していくは解りませんが、このような豊かな精神文化はいつまでも後世に残し、伝えて行きたいものですね。