マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
毎年この時期になるとよく使われる、「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句をご存じの方も多いと思います。
今年は、3月17日(土)が「彼岸の入り」です。
そもそも「彼岸」と言う言葉は「向こう岸」のことです。
すなわち、現世が「煩悩に満ちた世界」の「こちらの岸」であるのに対し、彼岸は「悟りの境地」である「あの世」を指します。
そして彼岸は、このコラムで既にお話ししましたが、「春分及び秋分の日」を中心として、その前後3日ずつを呼びます。従って彼岸は1週間続くわけですが、初日を「彼岸の入り」、春分の日と秋分の日を「彼岸の中日」、そして最終日を「彼岸明け」と呼んでいます。
仏教の世界では「西方浄土」といわれる言葉が存在し、極楽浄土ははるか西の彼方にあるとされていました。そして春分の日と秋分の日は、太陽が真西に沈むので、この日が極楽に一番近づく日として極楽往生を願ったわけです。
それが室町時代に入ると、さらにご先祖を供養する要素が加わり、やがてご先祖の墓参りをする日本独自の行事になったという説が有力です。
なお、「墓参りのマナー及び意義」については、「マナーうんちく話8《彼岸と墓参りのマナー》」及び、「マナーうんちく話54《春分の日とお墓参り》」で詳しく解説しておりますので、そちらを参考にして下さい。
ところで、お彼岸と言えば、「ぼたもち」と「おはぎ」ですが、実は「ぼたもち」も「おはぎも」同じものです。
春分の日にお供えするものを「ぼたもち」と呼び「牡丹餅」と書きます。丁度「牡丹」の花が咲く頃ですので、牡丹餅という名前が付けられ、牡丹の花のように大きめに作ります。
一方、秋分の日にお供えするものは「おはぎ」と呼び「お萩」と書きます。「秋の七草」の一つである「萩の花」が咲く時期だからこの名前が付けら、萩の花のように上品に小さめに作ります。
それぞれ、季節を代表する花の名前を付け、「春分の日」と「秋分の日」では、同じものでありながら、別々の呼び名にするとは、昔の人は本当に感性が豊かだったと思います。
しかし、今では「牡丹餅」と「お萩」の区別はほとんど無くなり、「おはぎ」という名前で統一されているようです。
「エコ」だとか、「クールビズ」だとか、「ウオームビズ」等という和製英語が幅をきかせたり、バレンタインのチョコレートや、節分の恵方巻き(巻きずし)がどんどん売り上げを伸ばす中、日本人が長い間培ってきた文化が、次第に影をひそめて行くことは寂しい感じがします。
ところで、なぜお彼岸には、「牡丹餅」に「お萩」なの?ということですが、これには深い理由が有ります。
牡丹餅もお萩も材料は「米」「小豆」「甘味料」ですが、当時米は庶民には滅多に口にできない貴重品です。そして小豆もその赤色に邪気を払う効力が有ると信じられとても重宝されていました。さらに甘味料も米や小豆以上に貴重品でした。
今で例えるなら「キャビア」「フォアグラ」「トリフ」みたいなものでしょうか。
要するに最高級の食材を使用して、牡丹餅やお萩を作り、ご先祖にお供えし、供養していたわけです。
挨拶する時も、神様・仏様に対する時は、これ以上下がらないよ!という位に頭を下げます。神様・仏様、すなわちご先祖に対しての最高の礼儀・作法です。
また、思わぬ幸運に恵まれることを、「棚から牡丹餅」と言いますが、牡丹餅がいかに貴重品だったかを上手に表現した言葉です。
今、地球上には、飢餓が原因で命を落とす人や、恒常的栄養失調に苦しんでいる人が数えきれないくらい存在します。世界一「飽食の国」といわれる日本人にとって、彼岸の時くらいは昔の人やご先祖を偲ぶとともに、飢えで苦しんでいる人のことを思い浮かべてみるのもいいかもしれませんね。そして自分自身をしっかり見つめることもお勧めです。