「あなたの座右の銘を教えてください」と聞かれたらどうしましょう?
面接対策の重要性
いつも強調していることですが、当塾では、書類作りにかなりの力を注いでいます。しかし、書類作りは時間と労力を相当に要しますので、学科の勉強時間が奪われてしまい、苦戦しているという話を受講相談の際によく伺います。 このような書類作成は面接対策にもなりますので、やはりしっかりと時間を使って練り上げねばなりません。面接は、意外に多くの人が軽視しています。しかし、英語がなくとも、面接がない入試を探すのはかなり困難です。また面接は「なんとなく」「なんとかなる」と考えて、ほとんど対策を打っていかない人も多くいます。もちろん、それは無謀です。私は京都コムニタス開塾以来、多くの先生方や事務方と話をさせていただきましたが、その経験上、実は、面接が原因で不合格になっている人が最も多いと言えます。この事実は意外に知られていません。また、臨床心理士指定大学院の場合であれば、面接は臨床心理士としての適性を見られることは確実で、明らかに不適格であるならば、学科の点数がよくても不合格になることがあります。奈良女子大学は、学校説明会でも「実習に送れる人を採りたい」と言いますので、それは面接で見ることを意味しています。また別の学校でも、以前、学科の点数が一位で面接で不合格になったという人を知っています。それだけ面接対策は重要です。
適正な自己分析から
ではそもそも面接対策とは何か?という問いに対するある程度の回答を持っておく必要があります。これは多岐の項目からなるトータルコーディネートといえます。まずしておきたいことは「適正な自己分析」です。自分という抽象的なものを言語化して、相手に伝えねばならないわけですが、そのためには自分が何者であるかを、自分の中で常に明確化しておく必要があります。適正な自己分析を考える際にさらに重要になるのは、自分を形成している間接要因や条件を分析することです。仏教は自己変革を推奨する教えですが、自分を変えるには、自分の苦しみを作っている要素を細かく観察するところから始めます。よく観察すると、実は私たちは突然今の姿になったのではなく、また最初から今の状態になると決まっていたわけではないという当然のことに気づき始めます。そうすると、自分は刻一刻と変化しているということに気づき始めます。そうすると、自分は絶対物ではないということにも気づきます。そうなると、自分は相対的なものであり、今自分を形成しているのは要因の集合体であることに気づき始めます。
特に重要な要因は、直接原因というよりも、むしろ間接要因の方です。この間接要因を仏教では「縁」と言いますが、人間を形成する直接要因は、例えばタンパク質やカルシウムなどの物質だと言えます。全員に平等にありますが
「私たちはタンパク質とカルシウムの塊である」
と言えば、事実でしょうが、何か違います。もっと敏感になって縁の部分を観察すると、必然的に心の方に目が向きます。自分の今の心の状態を作っている要因に目を向ける必要性が生じます。仏教はこれを2000年以上続けてきました。このような自己観察を繰り返し、その上で「適正な自己評価」をすることができるようになると、面接対策はそれだけで半分以上できたと言えるでしょう。
カミングアウトの禁止
次の段階として、カミングアウトの禁止が挙げられます。
「私実は昔●●でした」
「私○○ができません」
「テスト実はできませんでした」
このような話は聞かれない限りは一切不要ですし、聞かれたとしても、そのまま答える必要はありませんし、聞かれることはほとんどありません。ある意味、大人として、年期の入った見解と言葉とウイットネスもほしいところです。たいていの場合において、カミングアウト傾向の人は話すネタがなくなった時に、それが出てきます。適正な自己評価ができるようになってくると、「できること」を考えるようになってきます。カミングアウト傾向の人は「できないこと」を言おうとして、相手の理解や共感を求めようとします。しかし、少なくとも面接の場ではそれは不適切です。面接は、受験する側がアピールをする場であって、面接官に甘える場ではありません。また話を聞いてもらう場でもありません。また、面接官に甘えにかかる人は、相手の話をよく聞けない傾向にある人が多いです。臨床心理士指定大学院に限ったことではありませんが、人の話の聞けない人は間違いなく嫌われます。面接はコミュニケーションの場です。情報を面接官に伝達するわけですが、このときに伝達したいことは自分の利益になる情報だけになります。わざわざ自分の不利益になる情報を伝える必要はありませんし、実は面接官もほとんど興味ありません。面接官がした質問を正しく聞いて、正しく答えるならば、カミングアウトをする必要はないのです。
この時期、私は必修の授業を通して、自己アピールを作ることを推奨します。その際に、「できないのネジを外しておく」と言って、「できることを積み上げておく」ように言います。相手方が求めるのは、社会人であろうとなかろうと、入学してから伸びる人であり、最終的に成果をあげてくれる人です。
極端な例をあげると、虐待について、先端の研究をしている大学院があるとします。その大学院で虐待に関する研究がしたいと考えるのは、全く問題はありません。しかし、
「実は私、虐待をしたことがあるんです。だから、虐待の研究がしたくて、だからこの大学院に行きたいのです」
これは困ります。よくみると志望理由とは別次元の話になっています。虐待経験者が被虐待者を救う研究をしたり、あるいは同じような虐待経験者の助けになる研究ができるかどうかを考えてみた場合、可能性はかなり低くなると読み取られても仕方ないでしょう。また、壮絶な体験を面接や書類で語ったとしても、入試においてその情報が求められることはあまりありません。また、おそらくたいていの虐待研究の先生は、虐待経験はないでしょう。この場合、有効なのは、例えば、施設でのボランティア経験において、被虐待児と出会い、関わった経験であったり、情報として、見聞きしたことになります。
面接は人を見る
面接を重視している臨床心理士指定大学院としては、例えば兵庫教育大学は300点、帝塚山大学は200点といった高得点を設定しています。このような学校は、面接で決まるといっても過言ではありません。(学科を勉強しなくてもよいという意味ではありません)
面接はまず人間を見ます。面接の究極点は、「面接をするまでもなく欲しい人になること」ですが、そう簡単ではありません。しかし、これを意識しておくことは大切なことと言えます。人間を見るというのは、要は、一緒に仕事をしたいかどうか、あるいは一緒に机を並べたいかどうかを見られるということです。看護系では「教えたいと思う人を採る」と仰った先生もおられます。
これは決して相手に媚びるということではありません。(たまにそういう人を「いい人」と認識する先生もいますが・・・)その上で、一緒に仕事をしたい人への道を探るという手順になります。私は必修の授業でこれをリスクの回避と呼んでいます。それではどんな人が一緒に仕事をしたくないと思われるでしょうか?一つは「自分の問題を解決できていない人」が挙げられると思います。自分の問題を解決できるようになるにはまず、自分の感情に気づき、言葉にしていくことが必要です。そして、不安になったり、腹がたったりといった感情を明確化するとともに、その感情を他人のせいにしないことです。
「あの人が私を不安にさせた」
などと言う人もけっこういますが、本来はそんなことはあり得ません。そのような感情は自分が震源地であることを正確に知れば、見方を変えれば、形を変えることも可能ということになります。そうなれば、自己の問題を直面化した後に解決できるということになります。他人のせいにする人は、何をしても失敗する人です。そうならないように自分作りをすることが面接対策の根本と言えます。
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