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井上博文

大学院・大学編入受験のプロ

井上博文(いのうえひろふみ) / 塾講師

京都コムニタス

コラム

「同じ」を探す能力

2021年4月7日

テーマ:思考方法

コラムカテゴリ:スクール・習い事

随分前に「不二」に関するコラムを書きました。
こちら
これは仏教用語ですが、「二」とは区別のことで、それを否定している言葉です。聖徳太子がいたとして、この国の政治に仏教を導入し(594年仏教興隆の詔)、後年、日本初とも言える仏教の講義をし、かつ論文を書きます。その時に注目した経典は『維摩経』『勝鬘経』『法華経』でした。その『維摩経』には「不二」が文殊の智慧として記されています。つまり区別を離れることは智慧であるということですが、逆から言えば。それだけ私たちは放っておくと区別をする生き物だと言うことでもありますし、それを乗り越えて、区別を離れることができるということでもあります。聖徳太子が注目したもう一つの経典の『勝鬘経』は女性のシュリーマーラーデーヴィーが活躍する経典です。おそらく今から2000年近く前にインドで生まれた経典と考えられており、聖徳太子がどんな理念をもって、この国の政治を行おうとしたかがよくわかります。当時のインドではやはり男尊女卑的な考え方が当然のようにありましたが、仏教は比較的少なめだったのではないかと思わせてくれる経典でもあります。国家を経営しようとしたときに、女性を男性の従属と考えるか、女性も国民と考えるかの違いはあまりにも大きいと言えます。後者は女性を男性と同じ人間だと考えているからです。今では、当たり前のことですが、世界中で男尊女卑的考え方が先にあり、それを少しずつ乗り越えてきた歴史があります。残念ながら、この国は政治禍が自ら無教養さをさらけだし、日本のこういった歴史の側面を全く勉強していないことは残念としか言いようがありません。

こういった無知(無恥)で無教養な政治禍は不二を知るどころか、逆に分断をあおり、自らの差別意識を隠そうともせず、むしろ前面に出して、一部の共感者を募るという手法で、選挙に勝てるという民主主義の負の側面を悪用し尽くしました。アメリカの前大統領やこの国の前首相はその典型です。彼らは常に自分が正義で、自分と対立するものを作って悪としました。彼らは決して保守的な考え方ではありません。大切なものを守ろうとする意識はむしろ希薄です。彼らが嫌いな国(最近の典型は中国)と対立しているというフリをして、対立構造を作り、ありもしないことを内外にどんどん言って、対立をさらに煽ります。
昔『蔵の宿』という福井を舞台にしたマンガがありましたが、そこに出てくる主人公の親戚が地域の議員をしているのですが、これが彼らにそっくりです。20年以上前に彼らが出てくることを予測していたのではないかというくらいです。ありもしない対立と分断を創出して、自分の思い通りに事を運ぼうとする人間は、マンガでは古今東西悪人と決まっています。そのほぼすべてが私利私欲のための行動です。こういった人間が戦争を引き起こしていくのだと思います。だいたい主人公はそんなどうしようもない人間を許すのですが、読者は、そういった悪い奴が、自分のまいた悪辣な種で自爆するところを見たくなるものです。

こういった対立構造をなくすには、不二をはじめとして「同じ」を探すことが重要です。人間は、どういうわけかは知りませんが、またいつからかも知りませんが、ほぼ元々、同じを探す能力を持っています。正確には違いに気づいてから、同じを探す能力を持っているということです。これがつたない言い方ですが、「すごい」能力です。例えば飼い犬でも飼い猫でも、初対面同士を二匹以上人間のいない密室に入れて、その場を立ち去れる飼い主はほとんどいないでしょう(大切にしていることが前提ですが)。それは動物は放っておくとケンカをすると思っていますし、たぶんケンカをします。ヘタをすると殺し合いになりかねません。動物は、最初から同じでないと「違う」と認識し、そうなると、ケンカをするか、服従させるか、するかという選択になっていきます。これしかできない人間は動物並みということですし、これを煽る政治禍は、人間の歴史の外側の生命体なのかもしれません。彼らが宇宙人の話をすると、最近笑えません。

しかし、地球の人間で今生き残っている種族は、「違う」相手から「同じ」を見つけることを可能にしました。そこから「普遍」を見つけていきます。例えば、阿弥陀仏信仰は古代インドからあったわけですが、その教えは、「普遍的にどの人も阿弥陀の世界に救われる」ということです。善だろうが悪だろうが関係なくです。中世の親鸞は、その教えを純然と信じ抜くことを説きました。ユングは集合的無意識を主張しました。今では発見とは、未知のものを私たちの経験のどこかに引っ掛かりを見つけて、わずかでもその経験との「同じ」と重なったときに私たちは「発見」と捉えて、それを「すごい」と思うようにできています。
例えば、家の庭から古銭が出てきたら、たとえそれが珍しいものでなくても、それだけですごいと思うはずです。それは私たちの経験で「お金」を知っていて、古い時代にもお金があったことを知ったらすごいと思いますし、その古銭を今ならネットで調べて、一致するものがあれば、それはそれですごいと思うはずです。
医学もそうです。男女は見た目に違いますが、治療で男女を分けることは、ほとんどありません。今話題のワクチンで男用、女用にわけることはありませんし、男インフルエンザも、女コロナもありません。骨の大きさ、骨格は男女多少違いますが、数は違いません。科学はこうやって同じを見つけて、説明してきました。たとえば雷は、科学が進んでいない時代は雷様ですが(世界中にいろんな雷様がいて、それはそれで面白いのです)、今は電気と説明します。電気を経験した人間は、雷を電気と一致すると仮説をたてて検証したわけです。18世紀にベンジャミン・フランクリンが凧を飛ばして、検証に成功して以来、雷は電気です(たくさん犠牲があったのですが)。どちらが正解かは本当のところわかりませんが、科学によって、説明が重厚になることは間違いありません。

私は昔の1000円札の伊藤博文の肖像画を見て、山口の萩まで言って、銅像を見に行ったことがあります。単に名前が「同じ」という理由だけです。銅像が意外に小さくて、ちょっとせつなかったのはご愛敬です。人は不思議なもので「同じ」を探しているとき、見つけたときに怒りの感情を持つことは普通ありません。飲み会での会話のむしろスタンダードなものは「俺様自慢」ではなく、近くにいる人との共通点と共感です。「それわかる」です。それが悪口になることもしばしばですが、それは上で書いた政治禍に利用(悪用)されるので、避けて、目の前の人と同じを見つける努力をしてみると、怒り感情が自然に出なくなります。REBTの創始者エリスは、科学的な考え方は、不適切な感情を適切な感情に変えると言って、REBTを作ったわけですが、あらためて、なるほどと思わされることは、最近よくあります。


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